アオアルキルキア

不定期連載

いなくなりたくなる病

 

定期的に死にたくなる。

けれど痛いのは嫌だし、苦しいのも嫌で、実際に死のうとしたことはない。

思うだけで、死のうとはしない。本当は死にたいわけではないのか、というとそれもまた違う。掘り下げると、死にたくなる、というよりはいなくなりたくなる、というのが正しい。

僕は太宰治が好きだが、その太宰治が言っているから自分もそういっている、ということでもない。自己陶酔だとか不幸自慢だとか、構ってほしいとか、そういうわけでもない。

何かしら失敗した瞬間、その失敗ごと、自分を世界から取り除きたくなる。

時間を巻き戻して、その失敗だけやり直したいのではなく、失敗を繰り返す自分ごと、存在をなかったことにしたくなるのだ。

「生きたくても生きられなかった人もいるんだよ」といわれるとなんだかすいません、という気持ちにはなるが、でも思うことは理屈では止められない。

やめられない、とまらない、かっぱえびせん、みたいに「いなくなりたくなる」が一度味わうとあとをひく。

これから僕に幸せと思う瞬間が訪れて、生きていてよかったと実感し、長生きしたい、と思うことがあったとしても、定期的にいなくなりたい、と思うことはあり続けるだろう。

定期的に、失敗しているからだ。

「完璧な人間などいないし、失敗から学んでいけばいいんだよ」

いやいやいや、わかっています。そんなことは、いわれなくても。

でも失敗したくないじゃないですか。失敗するのと失敗しないのだったら失敗しないほうがいいじゃないですか。ドクターX、マジ、リスペクト。「私、失敗、しかしない」

まただ。またやってしまった。あ、怒らせた。怒られた。傷つけた。傷つけられた。間違えた。同じことばかり繰り返して、僕は一体いつになったらレベルが上がるんだろうか。理想が高いのか。プライドが高いのか。求めている自分と、実際の自分との差が歯がゆいんだろうか。そもそも失敗ってなんだろう。

僕の失敗は、たとえば誰かいるとき、頻繁にする。

たとえば、誰かと料理を作るとき。

自分一人で作る分には何にも気にならない。思ったようにやれるので、失敗しない。でも誰かの目の前で同じ料理を作ろうとすると、相手の思うようにやらないといけないと思ってしまう。すると思うように動けないのだ。たとえば野菜洗って切っておいて、といわれたとする。いくつかの野菜があって、その中に玉ねぎがあるとしよう。普段の僕なら、皮をはぎ取ってから、少し水にさらして、薄切りなり、微塵切りなり、料理に沿った切り方をする。皮がついたまま洗ったりしない。だって内側は、めくって初めて外気に触れるのだから汚れていない。下の土がついたところも皮をはぎ取る時点で、ドスンと切り取っちゃう。そのやり方で和食を作って十分おいしい。自分一人でいるときは、そんなに失敗しないのだ。けれど、「洗って切っておいて」と人にいわれた瞬間、そのとき渡された野菜は全部洗って切らないといけないと思い込む。それが相手のルールっぽいぞ、と謎の思考回路になり皮がついたままの玉ねぎを洗う。すると「え、なんで皮ついたまま洗ってんのウケる」「料理しないだろお前」なんてことをいわれてしまう。

違うんだ。本当の僕を見てくれよ。馬鹿だと思われた。全然できない人だと思われた。みんなで料理しようなんて場に僕はいるべきではなかった。いなくなりたい。失敗だ。

もしかしたら、いや、皮ごと洗うよ、という人もいるかもしれない。でもそういうときはどうしてだか、今度は洗わない方を選んでしまったりする。

女の人といるときもそういうことを、普段より余分に考えてしまう。デートなんてしようものなら、行動の一つ一つに正解を考えてしまい、判断が遅くなり、気が気でない。気のある女性がせっかく話題にしてきた話を知らなかっただけで恥ずかしくて消えてしまいたくなる。少しいいな、と思う女性が現れるとだいたい口説くのを失敗する。相手がすでに自分に好意があると勘違いして、追いかけたこともあった。勝手に正解を想像して、それが正解だったためしがない。すいません、むしろ会うべきですらなかった。いなくなりたい。いなくなりたい。

会社の飲み会でもそう。幹事をやったときはその飲み会が盛り上がらなかったら自分のせいだと思ってしまう。片隅の席でしゃべっていない人がいると、僕は座る席を間違えたと思う。ごめんなさい、僕がそこに座ればよかった。僕があなたと話すべきだった。失敗だ。むしろ僕が最初からいなければ、この飲み会も存在しなかった。ああ、いなくなりたい。

いろんな場面で、いろんな人の「普通ならこうする」というものを僕は勝手に想像してしまい、その相手の普通をできなかったとき、いなくなりたくなってしまう。失敗した瞬間に、それより前から、存在しなかったことにしたくなる。

それを端的にいうと、死にたい、なのだ。

 

定期的にいなくなりたいと思うのは、存在する限り、発生する。

僕は、いつづける限りいなくなりたくなり続ける。

変な日本語だ。

コロナが流行っているけれど、もしも僕が誰かにうつしてしまったら……そのいなくなりたさ、はこれまでの比ではないんじゃなかろうか。

とってもとっても、恐ろしい。

 

面倒な性格だと、自分でも思っている。