アオアルキルキア

不定期連載

こぼれるおこめ

月曜日から人生初のリモートワークだ。家で仕事が捗るのか、不安で仕方ないが最近仕事も楽しくなってきているので、頑張りたい。
リモートワークが決まったのは三、四日前。その前から、僕の仕事もリモートできないかという話が上の方で話されていた。会社の7,8割を在宅勤務にしなければならないとのお達しだから、仕方ない。
毎日家で仕事をするってどんな感じかな。自律心やお家にある誘惑に負けない自制心が必要だろう。ついでなので、自炊も再開して、自己管理もしよう。冬になってから全然やっていなかった。週末にスーパーへ行って野菜なり肉なり卵なり、牛乳なり水なりお米なり、と買いに行こうと考えた。
今日は朝からザーザーと雨が降っていた。こんな中行くのはちょっとしんどそうだな、と思っていたら夕方になって雨はやんだ。明日作り置きして、タッパーにでもぶっこんで一週間分作ろうかな。常備菜とか、あまり作ったことがないのでうまくいくかはわからないけれど。

そう思いながら家を出た。
僕はひとり暮らしで、車も(というか免許すら)もっていない。買い出しを手伝ってくれるような恋人もいないので、自分一人で運ばないといけない。たくさん買い込むときはリュックを背負って買い出しに行く。色々切らしていたものの多かった。朝の雨があまりにもすごかったので、また降ったらいやだから、リュックに入ったままにした折り畳み傘もそのまま持っていくことにした。

僕はだらしないところがあって、折りたたみ傘を入れる袋をいつもどこかになくしてしまう。あるいは使用するときにカバンのポケットなどに入れて、忘れてしまう。

それで、カバンに入っている折り畳み傘は、外袋のない状態で入っていた。いつか使って、干した後、袋にしまうことはせずにそのままリュックサックにしまっていた。
これが、大変いけなかった。

たくさんのお買い物をして、レジを終えた。
袋詰めする台のところまでショッピングカートを押して歩いた。
かごはいっぱいで、袋も何枚か貰った。両手では足りない量だったので、背負ってきたリュックサックの出番。重いものを手にぶら下げるのはしんどいから、お米をリュックサックに入れようと思った。5キロの無洗米。リュックサックをお腹に持って生きて、お米の袋を縦にして入れようとしたら、途中まで入った所で、何かが引っかかって、まっすぐにならなかった。
しまった。
気が付いた時にはもう遅かった。
あろうことか、お米の袋が折り畳み傘の金具に突き刺さった。傘を開いたときに骨組みの端っこにあたる、爪みたいな部分が無洗米の袋に刺さっている。これはまずいと思ってリュックサックの中に手を入れて、そのままお米の向きを変えようとしたら、突き刺さっていた金具部分が抜けずに、無洗米の袋に穴をあけてしまった。
ひえええ。
重みで穴が広がってリュックサックの中身が米だらけになったら大惨事だ。
そのまま折り畳み傘を引っ張り出すと、小さな穴からまるで砂時計みたいに米がリュックサックの中へとこぼれていく。慌てて開いた穴に手を当てて、それ以上こぼれないようにと気をつけて、開いた小さな穴に手を添えながら、慎重にリュックサックの中へとお米の袋を座らせた。穴を押さえて、貰ったビニール袋に入れれば、こぼれたお米を回収するのは楽だったかもしれないけれど、両手がふさがるであろうたくさんの食料品がある。別のものをリュックに入れたとしても右手にも左手にもたくさんの袋をぶら下げることになる……5キロのお米も一緒に片手に下げて歩くのは怖い。ビニール袋だって破れるかもしれないし。リュックサックはそれほど大きいものでもないし、お米の重みで丁度良く密着して安定している。ゆっくりと背中に回して、ゆっくりと背負い、祈った。
どうかこぼれつづけないように。
ゆっくり歩いてお家に戻った。
両手にぶら下げた食料品はひとまず玄関に置いて、リュックサックをローテーブルに慎重に下した。ジッパーを限界まで開いて、片方の手をUFOキャッチャーのアームみたいな要領で、抱くようにして、お米を持ちあげて、もう片方の手で、穴をふさぎながら、ローテーブルの上に寝かせた。

本体の移動はおしまい。

それで、リュックの中をのぞくとかなりのお米がこぼれている。
とても悲しい気持ちになった。
今度は、このリュックサックにこぼれているお米を回収しないといけない。
はじめに掌ですくえるだけのものはすくった。それでもやはり回収しきれないお米さんがいっぱいいる。布でできて凹凸のあるリュックサックでは一か所にまとめて容器に移し入れるということも難しかった。仕方がないので、ローテーブルの上にゆっくりと落として回収することにした。かなり気を使って、ゆっくりリュックをひっくり返したけれど、ほんの少し高さがあるだけで、お米はポンポンと飛び跳ねて、ローテーブルに落ちたお米粒はさらに低い位置にあるラグマットへと散らばった。
悲しい。泣いてしまいそう。

掃除機や粘着テープが回転して埃を巻き取るコロコロというやつを使うのは忍びない。ちまちまと散らばったお米たちを一粒一粒手で回収して、計量カップの中に入れた。一合にも満たない、なんとも微妙な量が集まってしまった。
捨てるのはもったいない、だけどこのまま食べるのは汚い。
ではわざわざ、一合にも満たない子の量のお米たちだけを、洗うのか。無洗米なのに。指でじゃこじゃこするのか。こんな量を。ほかのコメと洗えばいいのか。無洗米なのに?
無洗米を買ったのに、洗う羽目になるって、なんだか落語みたいだと思った。そう思ったら悲しかった気持ちは少しだけ救われた。少しだけ救われた勢いを利用して、集めたお米たちをごみ箱に捨てた。捨てたとたんに、再び悲しい気持ちがよみがえる。

折り畳み傘はちゃんと袋にしまっておかないといけないんだ。その授業料だと思うしかない。いっそのこと買ったものが無洗米でなければ、汚いお米も「どうせ全部洗うし」と捨てずに混ぜてしまえただろう。でも5キロも洗うの、面倒だし。

床やテーブルに散らばったお米たち。
それが無洗米だったら、みんなもやっぱり諦める?
洗うほうのお米なら一緒にしちゃってる?
どっちであっても捨てちゃってる?
「米の一粒一粒にも魂は宿っているんだ」と誰かが言っていたのを急に思い出した。
だからかな。
だからきっと、たかが半合の喪失で、悲しくなったんだ。
人の魂は、いったい何粒くらいだろうか