アオアルキルキア

不定期連載

ただいまスイッチ

 

リモートワークの一週間が終わった。僕はまだコロナではない日記。

 

独り暮らしの人でアンケートをとってみたい。こんなやつ。

――ドアを開けて、自分の部屋に入るとき「ただいま」というほうですか?

自分以外誰もいない部屋でもいいますか? ――

このアンケート、一年前ならきっと多くの人がいわないと答える。だけど今なら「ただいま」といってしまいます、という人が、増えているに違いない。

挨拶をスイッチにしている人があるはずだから。

 

僕の仕事はかなりマニアックというか、一部のクライアントの、極端な部分に発生する需要に答える業務であるために、担当としている人も、僕ともう一人の女性しかいない。共に内勤で、基本的には会社でずっとデスクワークをしている。

働く時間は一緒だけど、彼女のほうが一時間早く来る。僕は一時間帰るのが遅い。

なので、休憩する時間も一時間ずれている。同じ仕事をしているのだから、同じ時間に二人ともいない、ということがないように、自然とそうなっていった。

二人しかいないので、休憩をとるときにお互いが挨拶をする。

「お昼ご飯いただきます」「いってらっしゃいませ」と僕がいう。

一時間すると彼女が帰ってくる。「戻りました」「おかえりなさい」と僕はいう。

彼女が戻ってきたら今度は僕の番になる。でもすぐにはいかない。お昼の時間だとリフレッシュルームは混んでいるので少しだけ時間をずらす。三十分くらい経ってから、今度は僕が「お昼ご飯にいってきます」といって彼女が「いってらっしゃい」といってくれる。ご飯を食べて、一時間。自分のデスクに戻ってくる。

「戻りました」「おかえりなさい」

挨拶がまるまるひっくり返る。交代交代。

ビートルズの歌だ。

僕がおはようという。君がサヨナラっていう。あの歌。

 

リモートワークになったら、それをやらなくなった。彼女も彼女の自宅にいる。それぞれが勝手に仕事をしているので特に電話するようなこともない。

「同じ時間に二人ともいないことがないように」していたことは、いったい何の意味があったのか。

それでもあのやりとりがないと休憩するのに、僕は少し落ち着かない。

「いってきます」も「ただいま」もいわなくなると、メリハリがなくなってしまった。いつ休んでもいい。いつ帰ってきてもいい。決めるのは自分。律するのは自分。なんだかこれって一瞬も、気が抜けなくなっていないか?

今週の月曜日から木曜日までの四日間は、お昼の時間に急いで料理を作って食べて、そのまま仕事を再開していたけれど、今日はちょっと変えてみた。家から三分のコンビニまで行って、ご飯を買って帰ってきた。

部屋に戻ったときに、小さな声で「ただいま戻りました」といってみた。

部屋には誰もいないので、答える人もやっぱりいない。

答えが返ってこないので、交換した気になれない。その結果忙しない思いも、ずっと途切れてくれないようだ。不思議だけど、いつでも休憩できる環境が、反対にずっと働いているような感覚になっている。最初から最後までずっと仕事をしている感覚。一直線の棒みたいな毎日だ。

ストレスになるって、この部分。

これは、間違いなく、誰とも挨拶を交換できていないから。

 

あの、他愛のない挨拶は、必要なやりとりだったのだ。言うことに意味があったのではなくて、お互いが言い合うことに意味があった。

仕事と休憩を一直線ではないものにしていた。

一本の線を引っ張ったような緊張はつらい。

一時間でも「ちょっと、この間は持っていて」と誰かにゆだねる行為がメリハリをつけていた。

しゃべるぬいぐるみでも、アレクサでもきっとダメ。

同じ仕事をする誰か。

そういう相手って、実はとっても大切だった。

 

僕は今、ただいまだけを言っている。一直線の線のまま。

元の世界を願うばかり。そうすればきっと、二本の線にもどるだろう。

少し緩んで間のあいた、平行線でいいあいたい。

いってきますと、ただいまを。