アオアルキルキア

不定期連載

無駄が無限に

まだコロナではない日記。

 

今日はリモートではなくて会社に出勤した。毎月、クライアントに成果物を持っていく打ち合わせみたいなものがある。準備もかねて、今日明日と出勤。明後日はクライアント先にいく。どうせデータを渡すので、わざわざ行かなくてもいいような気もするのだが、毎回プレゼンをしに行くようなものだ。プレゼン、したことないのでわからないが。

無駄に思えるようなこととわかっていても、やっている仕事って、わりとある。

こうすれば、その仕事自体、いらないのでは? と、誰かが思うわけだが、意外とみんな、思うだけで、そのまま続ける。なくなってしまうと困る人がいたりするから、あえていわないのではないか。そこにあるしきたりを、おもんぱかる。ずいぶん変な話だ。

 

最近、簡単に音声配信ができるアプリを始めた(慣れてきたらTwitterでもお知らせします……たぶん)。

僕は小説を書くとき、自分で文章を声に出しながら打ち込む。そうすることで、リズムだとか語感だとか、言葉の呼吸だとかが、そろう気がしている。しかし本来、書き言葉と、話す言葉は違うものだった。たとえ声に出していいと思うものでも、黙読したら違うのかもしれない。声に発する言葉とは、自分の中にどのように落ちていくのか。そういうことが気になりだした。それで、誰かに向けて書くのと同じように、誰かに向けて口に出してみたら、どうなるのかを、試している。自分の声は、それほど好きではないが、死ぬほど嫌いというわけでもない。もうしょうがないし。この声で仕事をしているし、この声で友達に話しかけているし、恐ろしいけど、この声で口説いたりしているのだから、もうしょうがないじゃないか!(急にどうした)

さて、いざ配信を始めてみると、全然、全く、本当に、ほとんど誰も聞いてくれない。少しだけいる。まあ、こんなものだろうと思う。優しい人たちが多いので、僕の配信しているところに入ってきて(枠というそうだ)、聞いているのが一人だとわかると、そのままいてくれたりする。だから、ひたすらその人に話しかける。電話とも違う。独り言を、きいてもらう感覚。死ぬほど申し訳なくなり、どうにかしてその人を楽しませようと思って話をする。饒舌になる。こんなに話すことがあったのか僕は。と、驚く。

 

また、この仕組みは孤独の感じ方も特殊に思う。

特に、僕が音声配信を始めてから、誰も気がつかない時間がある。誰も聞いていない時間が生まれる。もともと部屋の中で独りなのに、さらに孤独が増した気がする。世界が終わって、誰もいないところに話しかけているような、あるいは無人島で助けを呼んでいるような。妄想が始まる。今この瞬間に隕石が落ちてきて、この音声だけ残ったら、ちょっとおもしろくないか、と。

世界が終わる瞬間に、何か、声を残せるとしたら、人は何を言うのか。(お前、その顔でロマンチックか。その顔ってどの顔か。)

そうではなくて、別に愛の言葉とか、世界は素晴らしい、とかそういう言葉じゃなくていい。むしろもっと無駄なこと、この仕事、やらなくていいのでは? みたいな、無駄なこと。そういう言葉が残ったほうが案外面白い気がしないか。

 

そういえば今日の夕飯はお刺身を買ってきた。そのパックの中にワサビがなかった。いつもは冷蔵庫に入っていたわさびも丁度切らしていた。今日、そのことを配信してみようと、仮定する。

「わさびがなかったんですよ」っていってみる。つかみはオッケーだ。(本当か?)

配信スタート。まだ誰も枠に来ない。でも僕は話しだす。しゃべらずにはいられない。

「こんばんは。こんにちは。ナラケイスケです。誰も聞いてないだろうけど、聞いてくださいよ、今日ね、お刺身買ったらね……」

ここで、世界が終わったらどうだろう。何百年と経った後、とっても頭のいい科学者が、当時の声として、僕のメッセージを分析する。お刺身を買ったら、いったいどうなったのか。未来の人たちが、いろんなことを想像する。なんかすごい。本当はわさびがなかっただけなのに、すごい大変なことのように話していたらと思うと、面白くないか?

無味乾燥な日々が、最後まで言わないことで、ファンタジーに早変わりだ。

 

もしかしたら、無駄に思えることでも、無限に広がることが、あるかもしれない。