ユートピア・ワーク
まだコロナではない日記。
リモートワーク、僕は向いていないということが、日に日にわかってきた。
ものかきになろうという人がそれでいいのか。いや、だが考えても見てほしい。作家は果たして一日ずっとパソコンに向かっているだろうか、と。向かっているという作家もいるだろう。ああ、そうですか。ごめんなさい。そこはもう素直に、尊敬する以外にない。しかし、多作の作家もいれば、寡作もいるのだ。作家一本で生きている人もいれば、本職がある(あるいは書く方が本職)としている人もいる。
僕はというと、そもそも一日に八時間なんて、書いていられない。
深夜にアドレナリンが出て、猛烈に書き連ねて、気がついたら朝になっていた、ということもなくはないが、稀である。ちょこちょこ、ちょこちょこ、書き進めて、出来上がったものを書き直して、また読み直して、そういうタイプなのだ。一日にかける量はせいぜい2時間くらい。集中力が持たない。
さて、普通、社会人は八時間ぐらいの労働をする。休憩は一時間くらい。その労働はなぜできるのかを考えると、動きがあるからだろう。隣の人と喋ったり、オフィスを出てトイレに向かって、別の部署の人に挨拶したり、「おい、ならくん! ちょっときてくれない?」と部長に呼ばれることもある。プルプルル、電話もなる。そこには、音と、人と、体や耳が、動くきっかけがある。八時間の集中力が続かないにしても、動きに沿って、別のアクションを考えるので、持続するのだ。
だけど家にいると違う。
隣に人はいない。トイレもすぐに行けるし、別の部署の人とあいさつなんかしない(というか、会社の人がいたら怖い)。「おい、ならくん! ちょっときてくれない?」と部長から頼まれごともあるわけではない。電話は鳴るが、自分の部屋でとるので、いつもよりちょっと、緊張してしまう。
何よりも、全てが自分次第というのが辛い。
律する心がないといけない、と考えてしまう。ちょっとでも休むといけない気持ちになる。本当は会社にいるときも、ちょっとずつ、ほんのちょっとだが、僕は仕事をしていない間があったのだ。家の中にいると、その間が、とても目立って見えて、すごく疲れる。
でもこれはひょっとしたら僕の場合、ということもある。
小説家の仕事のやりように種類があるように、社会人のリモートワークにも感じ方に差があるし、成果物もたくさんできる人と、少ない人がいるだろう。
僕は間違いなく、少ないタイプなのだ。
思えば僕は、小説を書くときも、街に出て、わざわざ喫茶店で書いていたりした。仕事の帰りに喫茶店に寄って、二時間くらい書いて、家に帰ったりした。そのときは、周りに人がいることがよかった。でもまた、あるときは別。僕は書きながら、書いていることを口に出したりもしているので、家でも集中して書くことがある。つまり一つの業務を、色々な風景に身を置いて、集中できる場所を探す。ジプシーみたいだ。
なるほど。僕は一つの場所にい続けてしまうと、飽きてしまうようだ。
このことから、僕は、オフィスで延々と同じことをやるのも、向いていないということがわかる。つまり在宅も出勤もどっちも向いていない。
僕の理想は、つまり、半分半分くらい。
動きがあれば、きっと飽きない。
コロナは収まって欲しい。でも、在宅勤務が全部なくなるのも嫌だ。こんな状況になって初めて、僕は僕の向き不向きを知った。
アフターコロナ。僕は微かなユートピアを期待する。
半分くらい出勤をして会社員、半分くらい家にいて、物を書く。
まさに理想郷なのだ。
そんなにうまくはいかないよ。
諸先輩方の厳しい声が、聞こえなくもない。