アオアルキルキア

不定期連載

ローカルルール

まだコロナではない日記。

 

今日もリモートワーク。最近は朝食を抜いて、コーヒーだけを飲むようにしている。自然とスイッチが入る。

思えば、僕は子どものころから、よくコーヒーを飲んでいた。

ブラックコーヒーではなくて、砂糖を入れて、牛乳も入れていた。中学生くらいのとき、試験勉強の前に飲むようになってから、何かを頑張る、といったタイミングで、ミルクコーヒーを飲むことは、僕のおまじない、ローカルルールのようになった。それから高校受験、大学受験、お仕事の前、何かを書く前、目が覚めたとき、酔いをさますとき、そのたびにコーヒーを飲んだ。

でもそれはいつも甘くて、牛乳もたくさん入った子供の飲み物に近かった。

今はもう見なくなったが、僕が子供のころ、違いの分かる男、というコピーのコマーシャルがあった。子供ながらに僕はそれを見て、そういう男になりたいと思った。

インスタント―コーヒーのコマーシャルなのに、僕はその宣伝でコーヒー豆から飲んでみたいと思うようになった。かき氷機みたいな形をした(というか仕組みはほぼ同じ)コーヒーミルが、ちょうど僕のうちにはあった。初めてコーヒー豆を買ったのは十八歳ぐらいだったか。市立図書館の前に、小さなコーヒー豆屋さんができたのだ。浪人生になってから、僕は図書館で勉強をしたその帰りに、コーヒー豆を買って帰るのが楽しみになっていた。色々な豆が売っていた。豆がなくなったら、違うものを買って味を比べる。僕は違いの分かる男を目指そうとしたのだ。

そのおかげかどうかはわからないが、豆の名前は覚えることができた。トラジャ、キリマンジャロ、ブルーマウンテン。どれも名前がかっこいいと思った。

だけど、僕は味の記憶ができなかった。なくなってから、新しい豆を買うので、必然的に前に飲んだものと、今回飲むもの、というような比べ方になった。時差ができ、それが違いを分からなくさせた。けれど正直、同時に飲んでもわからなかった自信がある。(それは自信とはいわない)。酸味や苦味があまりピンとこない。要するに舌がバカなのだ。それでも僕は、こだわりなのか何なのか全くわからないが、豆で飲むときは砂糖や牛乳を入れなかった。素材の味を分かる男になりたかった。順番に買っていっても、味の違いがわからない、というか、覚えていられなかったので、僕は二つだか三つだか、同時に豆を買うようになった。そしてあるときはこれを飲み、またある時はこれを飲み、というようにしようと考えたのだが、これは完全に無駄だった。僕は浪人生で、アルバイトをしてはいたものの、実家に居候しているような気分になっていたので無駄遣いは極力おさえたかった。豆を砕いた状態のものを入れる容器がいくつも持てず、結局一つを飲み切らないことには次の豆に行けないのだ。だからやはり、いつまでも違いの分からない男だった。そして違いの分からない男のまま、コーヒー豆を砕く行為がめんどくさくなり、ミルを見るのも嫌になった。

なんという実のない話だろうか。


今、だいぶ大人になって、僕はときおりブラックコーヒーを飲む。

結局違いのわからなかった男、という苦い思い出を味わうように。