アオアルキルキア

不定期連載

ネームヴァリュー

今日は出社した。忙しくて、休憩をとったのが夕方だった。お昼ご飯なのか、夕ご飯なのかわからなかった。

 

近いうち、折り畳み自転車を買おうと思っている。本当はインターネットを利用して買おうと思っていたけれど、ちゃんとしたものを買うなら、お店まで歩いて、自分の目で選び、手で触り、足を運んで、買いたくなった。街に出ることがまるで悪いことのように聞こえて、こんな普通の買い物も、書くのをためらいそうになるが、必要だから買う。不要ではない。

 

昔から自転車には名前を付けることにしている。本来名前を付けるようなものではないものに名前を付けることは楽しい。愛着がわき、それが物体であってもドラマが生まれる。

はじめにそういう行為を覚えたのは何かのギャグ漫画だ。高校生の主人公が、アルバイトをしてお金を貯めて、原付を買う。初めてのバイク。名前をつけて、可愛がった。名付けられた原付は、返事もしない。名前を呼ばれて、ふりかえることもない。それでも彼は名前を呼んで、原付にまたがる。原付を、愛おしむ。読んでいたら、僕はその主人公がかわいく見えてきた。それから僕も自分の自転車に名前をつけるようになった。そうはいっても、僕は漫画のキャラクターではないので、その行為を誰かに見られることはない。自分で勝手に楽しんでいるだけ。恥ずかしいので、人前で呼びかけることはしない。そうしたほうが、そのものを愛せる気がするから、名付ける。自転車以外でもいい。バイクや自転車、ギターやカメラ、愛している物に、付けていく。

SNSを見ていると「この現象に名前をつけたい」「こういう行為に名前をつけたい」といったものを時折読む。まだ、名前のついていないものがたくさんあることがわかる。

 

夏目漱石(一八六七―一九一六)の小説「吾輩は猫である」は、説明することも野暮だが、名前のない猫が主人公。僕が面白がった行為とは反対。本来は名前をつけて可愛がられるはずの猫が、名付けられていない。名前が「まだ」つけられてい「ない」ことの妙とも思える。最も、猫なのに、吾輩という仰々しい一人称であることのインパクトがあったから、ああいう一行になったのかもしれない。名前のないものが主人公であるということは、ちょうどいい観察者の視点だ。あの小説では、色々な名前の付いたキャラクターが出てくる。ずいぶん前に読んだので、細かいところは忘れてしまった。それでも迷亭というキャラクターは面白かった、と今でも覚えている。感想を言いあうと、私はあの人が好き、僕はあの人が好き、などという話も出る。その印象は、キャラクターが魅力的に書かれていたからゆえ、のように思う。名前のない猫が、観測者の視点で、キャラクターを見ている。だから名前のあるキャラクターが、光る。名前とは、キャラクターを生かすもの。

 

さて、僕が次に買う自転車の名前は何にしよう。名前をつけるなら、呼びたくなる名前がいい。付けた所で、呼びかける機会はないかもしれない。せっかくだから呼びかける場面、を妄想してみる。ここでは仮にマグナムくんと呼ぶ(なぜだ)。

 

警察官に自転車で走っている間にとめられて、「ちょっと防犯登録を確認してもいいかな?」といわれたときはどうだろうか。

「え、僕のマグナムくんに何の用ですか?」

「マグナムくん?」

「この子です」(といって自転車を指す)

「……ああ、そう、この子ね。ちょっとさ、鞄とか見せてもらっていい?」

なんてことになるかもしれない。何を疑われているのか、はともかく、あまりうれしい場面じゃない。僕が一人で走っているときに名前を呼ぶことも生じない気がする。というか、一人でいるときに自転車の名前を呼ぶことがあるだろうか。あるとすれば、誰かといるときに、呼びかけるのではないだろうか。

だから今度は、誰かといるとき。

好きな女の子と一緒に暮らしていることを妄想する。

「ねー、ねー、明日マグナムくん、貸してよ」

「いいよー。どっか行くの?」

「ちょっとお買い物」

ああ。

その愛おしみはきっと、嬉しい。

こういうことじゃないだろうか。名前をつけることの意味とは、こういう瞬間じゃないだろうか。名前は、名前をつける行為そのものにも、価値がある。

 

バンド、スピッツに「名前をつけてやる」という曲がある(作詞:草野マサムネさん)。以下にその歌詞を引用する。

 

――名前をつけてやる 本気で考えちゃった/誰よりも立派で 誰よりもバカみたいな/名前をつけてやる 残りの夜が来て/むき出しのでっぱり ごまかせない夜が来て――

 

生きていると色んな夜が来る。残りの夜、という表現がいい。僕たちは残りの夜を迎えながら、その愛を歌う。

 

僕の自転車に名前をつける。

僕以外の誰かも呼びたくなるような、いつか好きな人も呼んでくれるような。ふりむかなくても、呼びかける。その行為はきっと、その人を生かす。

 

(本日の東京の感染者数 一二七四人。NHKニュースウェブより。 減らない)