アオアルキルキア

不定期連載

QとA

今日はお休み。

 

昼前に起きて、書きものができた。僕にとっては、わりと良い日だった。

当たり前だけれど、毎日は、二度と同じ日がやってこない。一日一日、僕は残りの時間を減らしている。永遠に書ける日がやってくるわけではない。無限ではない。星にすら、寿命がある。だから毎日は貴重で、書けた日、ちゃんとその日を使えた日というのは、もっと貴重なのだと思える。

他にも、僕が思う良い日はある。

たとえば、映画や演劇を見て、やる気が出たり、アーティストのライブに行って刺激を受けたり、美術館の展示に向かって、ドキドキとして閃く。自分の中にあるものと、自分の外にあるものが反応しあった。その日も、またちゃんと使えた日になった。

好きな人とどこかにいってご飯を食べることができたら、その日も良い。無駄にならない。僕の中にあるたくさんの気持ちが、ときによってそわそわしたり、安らいだり、傷ついたり、ボロボロになっても、飛び上がるほど喜んでも、とても疲れてしまっても、気持ちが動かないことがない。そのことは、僕に何か、力を与えてくれる。たとえわかりあえなかったり、寂しくなったりした日でさえ、その気持ちを忘れないでいたい。その日はたぶん貴重な日だから。

書いておきたい、と思ったり、書けたから良い日なのだと思ったりするのはどうしてなのか。どうせ書いておいたところで、死んでしまう。データに残したところで、紙に残したところで、誰も読まない。こういうことを考えていると思い浮かぶ人が何人かいる。「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(一八五三―一八九〇)は生きている間は絵が売れなかった」とか「フランツ・カフカ(一八八三ー一九二四)が生きている間、その小説を読んでいたのは仲間内だけだった」とか、そういうこと。彼らの作品が、今生きている人たちに与えているものはとても大きいけれど、描いた人、遺した当事者はそのことを知らぬまま死ぬ。当事者たちから見れば、その後の彼等の評価も、名声も、何にもならない。

彼らは描くべきものがあって描いてきた。あるいは、書かずにはいられなかったのかもしれない。本当の芸術家は、その人ではない誰かをも動かす力がある。絵を描いたり、ものを書いたりする人で、頭のねじが飛んでいる人もいい。そのこと以外にできない人はかっこいい。周りを振り回して、私生活はめちゃくちゃ、でも生みだすものは芸術。それは作品を存在し続ける強さにもなる。

僕はたぶんそうではない。別に、後世に名前を残したいわけでもない。

遠回りをして、やっと会社員になった。一人の人生を生きられる分くらいの稼ぎになった。それでも、どうしてなのか足りていない。自分が何ももっていないことにふと、ぞっとしてしまう。僕には何もない。このまま、良い日や悪い日を繰り返していって、いつか死ぬ。

どうしてそれではだめなのだろう。

書かないでも今日は良い日だと思う人なら良かった。映画やお芝居を見なくても、後悔しない人が良かった。毎日ずっと良い日にできる人が良かった。

きっと文学賞をとったころで、何も変わらない。

生活は変わるかもしれない。いろんな人に認められ、自信もついて、たくさんの女の子からちやほやされて、印税生活で欲しいと思ったものは何でも手に入る。誰からも馬鹿にされず、先生と呼ばれて胸をはって、テレビにも出て、こんな日記を書いていたころがあったなんて思いだしたりする。

でも結局その先に、あるものも同じ。答えは簡単。老いて死ぬだけ。

書こうが、書かまいが、認められようが認められまいが、結果はぜんぶ変わらない。

それなら、いっそのこと、今あるものを、今いる場所を、良い日にしてしまえばいい。

効率よく仕事をやった。次々と成果を果たし昇進していく。結婚をして、胸を張るのも素敵だ。そういう生き方に、シフトしていけばいい。

でも僕はそれではダメだと思ってしまう。僕はそれが苦しい。

どうしてなのかも考える。家族から褒められることが少なかった? 愛されることがなかったから? そんなこともないと思う。どうして、僕は、こんなふうになってしまったのだろう。自己肯定感が低い。承認要求が欲しい。言葉で説明したところで、何も救われない。

きっとあのときから。

書いたものを良いとされ、やっと「生きている感じ」を知った。そのときからずっと同じ。それ以外、僕のことを認めてくれるものがない、と思ってしまう。菅ッてしまう。生きてはいない気がしてしまう。あの感じ。あの感覚がずっと欲しい。僕のことを何も知らない人が、僕の書いたものを良いとする。その評価にこそ、本当に良い日があるのではないかと信じてしまう。

いくら年を重ねても、自問自答をし続ける。答えはないのに、結果だけは見えている。誰かの声が聞こえてくる。

「どうせ死ぬのに、いったい何をやってるの?」

 

バンド、100sに「Q&A」という楽曲がある。以下に歌詞を引用する(作詞:中村一義さん)

――言うなれば、それは絶望だ。/負けなきゃね、痛みもわかんねぇ。/そして、勝たなきゃね、/孤独もわかんねえ。――

 

僕はおそらく死ぬまで、満たされない。でも満たされないからこそ、生き続けられる。ときおり訪れる「生きている感じ」という瞬間だけを、束ねたい。

そうしていけば、明日もきっと、何かが書ける。

 

(本日の東京の感染者数 一一七五人。NHKニュースウェブより)