アオアルキルキア

不定期連載

題詠 とんかち

 

題詠 とんかち

 

ひとつのものを違う言葉で言いあらわすものがある。

とんかちとは金槌のことだろう。

意味、というか示すものは同じであるのに、音だけが違う。

もしかしたら、金槌は、金属の槌で、とんかちは、木でできた槌のことをいうのではないか、と考えてみたりする、辞書を引いても、そういう区別は書かれていない。

とんかち、トンカチ、という響きには金槌よりも柔らかさが漂う。

釘を打つもの、というよりは、何か、例えばドアについた明かり窓を叩き割る必要があったとき、使いたい(そんな「必要」はなかなかないが)。

もちろんそれは僕の印象に過ぎない。

別の誰かにとっては、どんな印象なのだろうか。

 

太宰治の小説「トカトントン」で聞こえる音は、金槌ではなく、とんかちではなかったか。

文庫本を開いてみたが、ちゃんと金槌でくぎを打つ音と書いてあった。太宰治にとっては、金槌のほうが、やわらかいのだろうか。あるいはトカトントンという、堅く澄んだ音色は、金属の響きがあるものなのか。

試しに、文章を引用し、言葉を置きかえてみることにした。

――誰やら金槌で釘を打つ音が、幽かに、トカトントンと聞こえました。

これをこうする。

――誰やらとんかちで釘を打つ音が、幽かに、トカトントンと聞こえました。

印象はどうだろうか。

トカトントンでは、金槌という単語がかなり出てくる。そのすべてをとんかちにすると、どうだろうか。面倒なので、ここではやらないが、想像するだけで、わかることがあった。

文章が、とてもうるさくなりそうだ。

とんかち、という言葉がそもそもトンカチトンカチと叩いている音から来ているのだとしたら、音がするものが音を立てて、文章中にとんかちとんかちトカトントンと、けたたましくて、集中できないかもしれない。

なるほど。文学ではうるさくなるのなら、短歌に使うぐらいがちょうどいいのか。

 

 

 

とんかちで氷の張った水たまりひとつひとつをたたきわりたい