見ていた光
僕の父は厳しかった。
最後に会ったのはいつだったか、まるで思い出せない。もはや父の顔もうろ覚えだが、顔以外の、父が僕に向けた言葉やルール、ふるまいなどで覚えていることはいくつもある。
そのうちの一つに「夜は九時になったら眠ること」というルールがあった。
あまり守ってはいなかった。
父と母がまだ夫婦であったころ、僕たち家族は団地に住んでいた。
間取をざっと説明すると、キッチンと一緒になったリビング、ダイニングが南側に向かっていて、六畳の洋室と四畳半の和室は北側に。バストイレ別で、典型的な集合団地の三階だった。そんなに広い家ではなかったが、狭いとも思っていなかった。父、母、兄、僕の人間が四人、本当は禁止だったらしいが、小次郎という猫も一匹いた。
僕と兄と母は六畳の洋室に布団を敷いて、九時前には並んで横になりながらテレビドラマを見ていた。夜遅く、仕事を終えた父がドアの鍵を開ける。ガチャリと鍵が回る音で、慌てて母はテレビを消し、電気を消した。
「寝たふりをしなさい」と母は小声でいい、兄と僕はそそくさと布団の中に潜り込んでじっとした。起きていると恐ろしい父に、怒られるからだ。
母だけは、父を出迎えなければならず、洋室なのに襖だった部屋の戸を開け、リビングへと向かっていった。
父と母は毎晩のように喧嘩をしていた。
僕と兄が寝る布団のあいだには、さっきまで一緒にいた母の、抜け殻みたいに盛り上がって固まった布団があった。
兄も僕も、それぞれが布団の中で、父と母の言い争いを聞いていた。はっきりとは聞こえない。だが時折怒鳴り声が響いた。
言い争いに負けると母は泣きながら洋室に戻ってきて、抜け殻の中におさまり、兄と僕を抱きしめて「ひどいことをいわれた」などとつぶやいた。
母はどこか大雑把なところがあり、父に向かっていこうと洋室を出るとき(それはまるで「出陣」だった)、いつも完全に襖を閉めなかった。
室内の電気が消されて暗いので、リビングまでを繋ぐわずかな廊下の電気がついているとその隙間から、黄色い光の筋が一本、兄と僕の布団を横断するようにして一直線に切り込みをいれた。
母の抜け殻があるときは、途中で段になって、角度が変わったりもした。
光の上空(というと大げさだが)、その範囲内ではスノードームで見る紙吹雪のように、ちらちらと小さな埃が浮いていた。
部屋の電気を消したときにだけ見える、不思議な現象だった。
母がちゃんと襖を閉めて洋室を出たときなどは、その現象の見たさにわざと少しだけ隙間を作り、兄に怒られることもあった。
ずざざざざ、と心の中で声を出し、必殺技みたいに襖を少しだけ開き、光の線を発生させた。
別の世界へつながる、垂直にできた地平線か、
どこか違う世界とつながった誰も入ることのできない境界線か、
眠ることを強いられた子供だけが見る日付変更線か、
どんなに父と母が怒鳴りあおうとも僕はその、光の筋さえ見つけられたら、心が穏やかになった。
僕は今、六畳一間のワンルームに暮らしている。同じ六畳であるのに、今の部屋には物もなく、寝ているのは僕一人だ。
狭くはない。
いつも眠る前に部屋の電気をすべて消して、西側にある窓のカーテンを開けるようにしている。そうすると朝になって太陽の光で目を覚ますことができる。西向きであっても十分な光がベッドに降り注ぐ。そういう目覚めが、どこか心地よい。
南側にも窓があるが、いつも隙間を作るのは西側だ。
それが習慣づいたのには理由がある。
光が差し込むのは、朝だけではないからだ。
深夜、部屋を暗くして、カーテンを少しだけ開けるとその隙間から、白く淡い光線が、僕のベッドを斜めに走り抜ける。街灯の明かりだと思っていたが、季節によって光が発生する時間や角度が違うことに、気づいた。月あかりだったのだ。
ベッドを横断する、ほの白い月明りの直線上には、越してきたばかりで埃も何も見えない。
ただただその光線が、僕を穏やかにした。
決して良い思い出ではないはずなのに、いつも思い出す子供のときに見ていた光。
物事を解決するわけでもない。
現実逃避といわれてしまえばそれまでかもしれない当然の現象に、幼い僕は何をゆだねていたのだろう。
今、僕を穏やかにしているものは何だろう。
小説を書いている、というと「どういう話を書いているの?」と問われる。
上手く説明できないかわりに、こういう動機はどうだろうか。
暗くした部屋の襖を少しだけ開けると、外の光が部屋の中に切れ込みを入れるみたいに差し込む、そういう現象を書きたい。
あるいはその光の範囲内にちらちらと浮かぶ埃みたいな、そういう話を、僕は書きたい。
外側がどんな世界でも穏やかになれる、不思議な世界を。
隙間から光でできた地平線、違う世界の入り口みたいに。