アオアルキルキア

不定期連載

憂いをおびたい

影がある寡黙な人、憂いをおびた人に憧れる。
明るくて快活な人も嫌いじゃない。花が咲くように笑う人にはときめく。太陽みたいに輝いて見える。
だけど、声を出さず静かに微笑む人にも興味がわく。過去に何かあったんだろうか。話をきいてみたい。そんなに笑わない物静かな人がいると、気になってしまう。どうしてそんな顔をしているの? ねえ、君は、いったい何を考えているの? って、尋ねてしまう。
それでもきっとその人は話そうとはしない。なかなか心を開いてくれない。その頑なさが、より美しく見えてしまう。思ったことを胸に秘めている感じがいい。秘める。ミステリアスだ。ぐっとくる。
そういう人は男でも、女でも、色っぽい。美形だとなおいい。容姿端麗で幸が薄そう、美人薄命、生まれなおして、そう生きたい。
何なら夭折とかしたい。
もはやそれは憂いでも何でもないか。
それでもそういう素質が欲しいと思うのはなぜだろう。
僕は声もか細くて、華奢な体をしているから、その「憂い」が似合う気がして、なお憧れているのかもしれない。
友達が多そうな明るいイケメンより、眼鏡をかけた本が友達のイケメンのほうが圧倒的に惹かれる。
アンニュイで儚げ。
朝より、夜が似合う人たち。
ああ、貴方になりたい。
だけど僕は我慢ができない。
自分の不遇を、すぐ口に出してしまう。
思ったことを良くも悪くも全部いう。
胸に秘められない。声を出して笑ってしまうし、人前で泣いてしまう。女の子にふられたら泣きながら友達に電話をしちゃう。

憂いをおびるにおびられない。
僕はどうやら、憂いをおびるにはまだ早い、生活の全てが拙くて、幼い。
憂いってすごい。
そもそも、我慢という時点で、僕はタイプが違うのだ。
憂いをおびた人たちは別に我慢をしていない。自分のことをいいたくないからいわない。あるいはいうほどのことじゃないと思っているのか。
当人たちに話を聞くと思った以上に激しい気持ちを持っていて、月明かりが似合うくせして、太陽のような人に憧れていたりする。
なんてこった。
それなら、僕は太陽のように輝きたかった、突き抜けて明るくなりたかった。
憧れの、憧れに、また憧れる。
だけど、どちらでもない。
朝も夜も色っぽさとは無縁のところで、太陽や月みたいに浮かんでいる人たちの、輝いたり、秘めたり、を見ているままだ。
でもまあ、それもいいかもしれないな。
憂いをおびないせいで、憂いをおびることの良さを知る。
太陽ではないおかげで、太陽のことを好きになる。
いつかなれるかもしれないと、思い続けることで、もしかしたら、それが憂いになるかもしれないし。
そんなことを考えながら、今日もミステリアスな人たちに、話しかけては、憧れる。