アオアルキルキア

不定期連載

大事じゃないから二度言えない?

 

ある日のことだ。ごはん処で「とんかつ定食」を頼んだのに「かつ丼」が来た。

間違いである。

だが僕は、食べ物にそんなにこだわりがないせいか、そのとき普通に思ってしまった。このお店では、とんかつ定食ってかつ丼のことなのか。そうか、それならば仕方ない。そういう店もありえるのだろう。トンカツがごはんにのってれば「かつ丼」だし、別々の皿で来れば定食だ。味噌汁とか、漬物とかが付くか付かないくらいの違いしかない。

聞かなかった僕が悪い。そう思って、二口、三口食べて、ようやく不思議に思う。

……いやいやいや、トンカツ定食と、かつ丼って、別のものじゃない?

そうでなければ、別のメニューにならないし、値段も違うし……。

気づくのが遅い。

もう口をつけてしまった。

ひょっとして、と周りを見回すが、僕以外の客は、すでに別のものを食べている。トンカツ定食も、カツ丼も食べられてはいない。間違えて届いたわけでもなさそうだ。テーブルにひっくり返された伝票を、恐る恐る手元へ寄せて、ひっくり返して、見てみると「カツ丼」と殴り書きされている。

つまりこれは、注文した時点で間違えられている。

おかしい。

僕は確かに「トンカツ定食」といったはずだ。

でも「かつ丼」が届いたのだ。

聞き間違えられたとしか思えないが、文字数がだいぶ違う。どんな耳をしているんだ。それとも僕が、「カツ丼定食」とでも言ってしまったんだろうか(もはやそれはなんだかわからない)。

間違いに気づきながらも、僕はもぐもぐと、望んではいなかったカツ丼を食べ続けている。すでに五口、六口と食べた今、「僕が頼んだの、トンカツ定食なんですけど……」というのもなんだか気まずいし、めんどくさい。

そして何より問題なのは、カツ丼がうまいのだ。

もういいや、という気になる。

伝票も正しいし、どっちだろうと、払えるお金も持っている。

言葉だけが違った。それだけなのだ。

食べられればなんでもいいのだなあ、などと人ごとのように思いながら、カツ丼を食べた。

 

またこんなこともある。

最寄り駅に、よく行くラーメン屋があり、そこでいつもラーメンを頼むと、決まって聞き返される。

「細麺と太麺、エラベマスヨ」

だいたい店員さんは二人いて、一人はベテランの店主か、社員といった感じの男性。もう一人は少し動作に落ち着きのないアジア系の外国人で、片言の日本語で話している。まだ働いて半年ぐらい、というところだろうか。

注文を取るのはいつものこの後輩のほうだ。

後輩の彼は、麺の太さをお好みにできることを強調する。

僕はどちらかというと細麺が好きなので、答える。

「細麺で」

「フトメン?」

「細麺です」

「フトメンネ?」

「ほ・そ・め・ん!」

阿保みたいなやりとりなのだが、毎回こうなのだ。

もう、わざとなんじゃなかろうか。

細麺か太麺かしかないのに、それが正しく受け取られない。

というか、最初の二文字、細か、太か、注意して聞いてくれればいいのに、なぜか毎回反対。麺しか合ってない! そこは重要じゃないところだから! ぜ・ん・は・ん! と心の中で毎回叫ぶ。

「細麺と太麺アリマス、どっちシマスカ?」

「細麺で」

「フトメンネ?」

「細麺!」

色々と可能性は考えられる。

ひとつは、選べると言いつつ、最初の一杯は太麺を食べさせようとしている、というサービスの皮をかぶった店主のエゴという可能性。その店は替え玉が細麺しか選べないということなので、あり得る。だが、ほかの客が同じことを問われて、細麺と答えても一回で済んでいる。これは違う。

外国人の方なので、まだ日本語が聞きなれていないという可能性。

もう半年ぐらい見ているがずっといる。それでも片言の程度が同じくらいのように思える(悪く言えば成長していない)。いつまでたっても日本語がうまくならない外国人もいっぱいいるので、十分あり得る。だが、これも結局は先ほどと同じ理由で、否定できる。

他の人が注文した時、彼は聞き返さないのである。

それを鑑みるに、どう考えても原因は僕のほうにあるのだ。

しかし、どれだけ、滑舌が悪ければ、ホソが、フトで伝わるのだろう。謎である。

別にここでも、もう太麺でいいや、と思う気もしてくる。

しかしそうなったらそうなったで恐ろしいものを想像する。

「細麺と太麺アリマス、どっちシマスカ?」

 

「太麺で」

「ホソメンネ?」

「ふ・と・め・ん!」

ここまでくると、もはや僕の声は、麺を選べない声なのではないか、と思ってしまう。

僕は海外に住んだ経験も、海外で働いた経験もないので、母国でない場所で働く外国人はそれだけで尊敬してしまう。言葉だって片言でも注文が取れる時点でスゴイ。僕にはとても真似できない。だから僕の日本語が聞き取りにくいせいで、よく聞こえないのかもしれない。ならば寛大になろう。

そうは思うのだが、毎回毎回聞かれる身にもなってほしい。恥ずかしいのである。高らかに麺の好みなんか、言いたくない。

本当はどっちでもいい。

選ばなくて済むのならそれでいい。

僕にとっては大事なことではない。

大事なことだから二回いう、などという言葉があるが、裏を返せば大事でないことは二度も言いたくないのである。

ごはんにこだわりのある人はきっと何度でも言って、注文をするだろう。僕は少し、そういうこだわりに憧れてもいる。でも、途中であきらめてしまうことのほうが多い。

伝わらない声がもどかしい。

ごはんの注文ならまだしも、愛の告白とかを聞き返されたら、大事であっても、あきらめてしまいそうだ。君が好きだと、二回もいうのは、それはそれで恥ずかしい。

大事であっても、

大事じゃなくても、伝えたいことは、できれば、一回で。

 

「細麺と太麺アリマス、どちらにしますか?」

「太麺で」

「ホソメン?」

「ええ、細麺で」(にやり)

二度も言いたくなくないからこそ、こういうパターンでいつか、尊敬する片言の外国人の、鼻を明かしてやろう、などと目論んでいる今日この頃なのだった。

 

 

 

注文を聞き返されて二度も言う「君が好きだ」と二度はいえない