アオアルキルキア

不定期連載

めまぐるしい

 

まだコロナではない日記。

 

 

 

二、三日前、僕が住んでいるアパートの更新日を過ぎた。

 

オーナーから電話がかかってきて、更新されますか? と尋ねられた。放っておいたせいだ。というか、本当に気がつかなかった。封書? なんのことだろう? と首を傾げた。

 

更新、もうそんな、か。

 

僕の部屋は二年ごとの更新だ。一般的な期間だろう。また二年経ったということになる。二年間を振り返れば、色々あったような気もするが、特に何もなかったような気もする。いずれにせよあっという間だった。

 

実は年末くらいに、春になったら引っ越そうかな、などと考えていた。

 

が、もはやもう夏である。

 

子どものときは、というか学生のときは、何年間という幅が明確だった。小学生は六年間、中学と高校は三年間。そこから行く学校は、人によって、ところによって、年数は違うが、だいたいの学校に卒業があったのではっきりとした線が見えた。年を重ねるとき、あいだに線があるとふりかえりやすい。もちろん、その都度成長を実感することは難しいし、実際成長したかどうかなどはわからない。どちらかというとそれは、周りの人が思うことだろう。でもまわりに思われるだけでも十分だ。

 

部屋を更新する二年は、あいだに線が見えない。そうして、周りも、特にわざわざ「変わったね」とか「成長したね」とか「相変わらずだね」とか「変わってないね」とか、いってこない。自分だけが、またぐ線である。自分の歴史の二年間だけが、区切られる。そのうえ、年を追うごとに一年は早くなっているので、とてもふりかえりにくい。そして同時に、未来が漠然とする。

 

この町での日々は懐かしむ暇もなかった。さらにここでもう二年過ごす自分が想像できない。でも今すぐ引っ越したいわけでもない。どうしたいのかわからない。どうもしたくないのか。ではこの部屋に満足しているということか。いや、不満はある。じゃあ引っ越したらいい。しかし、ちょっとそれもめんどくさい。

 

そうやって気持ちがどこにも落ちていかず、ぼんやりと受け入れる。引っ越しせざるを得ない状況だとか、立ち退きだとか、近隣住民とのごたごただとか、同棲していたカップルの破局とか、そういった急変は大変だが、なんにもないとそれはそれで、面白みがない気がしてしまう。

 

わかっている。贅沢な、ないものねだりなのだ。いや、もっと単純なことだ。

 

更新するからには、この町で引き続き住むための理由が欲しい。逆にいえば、今ここにいる理由もないということ。いつのまにか、再び二年の線をまたいでいた。それなのに、愛着がわかない。
それがなんだか、寂しいのだ。

 

 

 

更新することは決めたわけだから、これからの二年間に期待するしかない。
願わくば、寂しさを忘れるようなものが、心に住み着いてほしい。
目まぐるしい日々がある、この町で