アオアルキルキア

不定期連載

仕事と料理

聞くところによると、震災を体験した文学者たちは、体験した場所が違うためにそれぞれの文学も異なるらしい。また、同じ人でも震災前と震災以後で、作品の中にもやはり明確に違うものがあるのだという。戦争を体験した人と戦後生まれの人の文学が区別されたことと同義だろうか。
僕は東日本大震災のとき、東京にいた。東北にいた人たちとは当然感じたことも考えたことも違っているのだろう。小説にはどうしても書き手の感じたことを書くという側面があるので、当たり前といえば当たり前。すごい作家になると、どこまでも客観的な立場で、自分を完全になくした状態で書けるのだろうか。それができたらとてもすごいのだろうけれど、その人が書く意味はあるのだろうか。

同様にして、今回のパンデミックにも、体験した人と体験していない人に層ができる。収まった後に生まれた人たちと、今、生きている僕たちの層。あるいは感染した人と、感染しなかった人の層。たくさんの方が亡くなっている。そこにも層が生まれてしまう。

友人が僕に「コロナ後の文学を考えるより、コロナ日記をまず書かないと」といった。
僕は今のところまだコロナではないのでそんな日記は書けない。最近毎日更新しているこれのことを指しているのかもしれない。それとも、今、たとえコロナに疾患していようと、していなくとも、この日々をそのままに書くことの全てが、コロナによるパンデミックのために生まれる日記になるという意味か。
コロナ日記というのは名前だけ聞くと、少しかわいい。人を殺してしまうほどの感染症なのだから、もう少し恐ろしい名前の日記がいい。新型コロナ日記はどうか。全然変わらない。不謹慎にさえ思えてくる。君はかかってもいないのに。今大変な人たちがいるのに。亡くなった方もいるのに。
ここ。
この断絶が、もう生まれている。
かかっている人とその家族、それに対してかかっていない僕は何も書けない。書いてはいけないとは言わないまでも、覚悟や配慮、知識や理解がもっともっとないといけない。
だから、まだコロナではない日記しか書けない。
「今のところまだコロナではない日記」を少しだけ書いてみる。
タイトルが長いので「コロナではない日記」にする。

令和二年四月二十日(月曜日)

朝、八時に起きる。いつもは七時。電車に乗らないし、駅にもいかないので、アラームを一時間遅くしておいた。シャワーを浴びて髪を乾かす。部屋着から外着に着替える。窓のカーテンを全部開ける。外から見られてもいいようにちゃんとした格好にする。スーツではなくてもいい。でも布団には入れないような服装にする。寝ないように。出勤時間の少し前に社用のパソコンを開く。体温を測る。三十六度三分。十分前に打刻する。そしてあっという間に就業開始。やりにくくて慣れない。ソフトウェアというのかアプリというのか、遠隔で会社のパソコンのデスクトップを操作するイメージ。ノートパソコンの中に、デスクトップのディスプレイが現れる。画面の中に、もう一つ画面ができるからどうしてもやりにくい。拡大すると解像度が上がるけど、上下にいちいちカーソルを移動させないと、エクセルの上から下まで選択できなかったりする。イライラしてしまう。試行錯誤。音楽を好きな音量で流しながら仕事する。集中できる。昔の試験勉強を思い出す。僕は集中するとブツブツ独り言を言いながら仕事をする。いつもはなるべく控えめに心がけるけど、部屋の中なので、遠慮なくブツブツ言いながら仕事する。しばらく仕事を続けていたら、お部屋の中にいい匂い。ご飯が炊ける。会社ではありえない。聴覚、嗅覚、習慣にない五感が活用されて、新鮮なので印象に残る。続けて仕事をする。上司に定時連絡する。今日はこれとこれをやります。こういうつもりです。云々かんぬん。ひたすらにエクセル作業。お昼になる。土日に買っておいた卵とにらとウィンナーを急いで炒める。いつもなら会社の休憩室に行って自分で詰めた冷凍食品ばかりのお弁当。すぐ食べ終わって時間が余る。だから料理を作れると思った。だけど切るところから始めたのでニ十分くらいかかる。後片付けもして残り三十分。急いで食べる。残り十分でコーヒーを入れる。ホッと一息。全然休憩じゃない。午後の仕事を始める。少しずつ画面に慣れてくるけど、それでもやっぱり普段のスピードからするとだいぶ時間がかかってやきもきする。あと五時間以上あるの? と思っていたけどあっという間に就業時間の終わりになった。日報を添付したメールを課長宛てに送信して終了。しーしーに、上司とその上司とそのまた上司。あほみたいにしーしーを入れたメール。課長と直属の上司だけでよくないか。
今度は夜ご飯を作る。明日や明後日のお昼や夕飯が楽なように痛むのが早い野菜を先に全部切っておくことにする。次から次へと切ってタッパーに入れて冷蔵庫に入れて、ようやく今日の夕飯を作り始める。昔は適当にレシピを検索して作っていたけど、今はもう適当に作るだけ。適当の位置が変わった。友人にもらったあごだしの出汁を使おうと思いつく。大根とにらと人参とひき肉でなんか和食っぽいやつになるはず。やっと作って食べる。お腹いっぱい。ニュースを見る。二十二人亡くなったらしい。一日に亡くなった人の数としては最大だという。どんどん増えていくだけではないか。リモートワークのおかげで僕は健康になりそう。でも出勤し続ける方を思うと喜べない。もう誰もかかってほしくない。でも僕にできることなんてない。かからないようにするくらい。これからもかからないようにしようと心がけることくらい。僕はまだ今のところコロナではない。

終わり。

 

この日記、仕事と料理のことしか書いていない。
果たしてコロナがなければ生まれなかった日記か、否か。
続けていけば、何かわかるだろうか。