アオアルキルキア

不定期連載

地図はスマートに

まだコロナではない日記。

 

今日は仕事もしないので、コロナも自粛も関係のない話。

ほんの少し前まで、僕がニ十歳前半くらい。そのときはまだスマホもメジャーな代物ではなくて、パソコンだってお家にあるものという意識。携帯電話もカメラはついていたけれど、ネットをやるには不十分。

あるときバイト先の気になる女の子を誘って、なんとかデートにこぎつけた。テーマソングはフジファブリックの「Bye Bye」がいい。――待ちに待った土曜日、映画に誘ってみたら二つ返事の君と 手を繋いで歩いた――手は繋げなかったけれど。

普段全然利用したことのない銀座の映画館に行くことに。単館系でしかやっていない邦画だったのだけれど、映画の話で、お互いがその映画監督が好きということを知って、盛り上がったので、場所はどこでも構わなかった。

それで、恥をかかないように事前に下調べをした。銀座なんてほとんど初めて。お家のパソコンで地図を印刷して、折りたたんでリュックに入れた。同世代ならきっとそんなことはしなかったかも。携帯電話を持っていたけれど、僕はたぶんそういうこと全般が‟遅れていた”から。頭で地図を入れていたはずがやっぱり少し迷ってしまって、銀座和光、大きな眼鏡屋さんがある大きな横断歩道の隅で、「ちょっと待ってね」といってカバンに入れてきた地図を広げた。
今でも思い出しては、恥ずかしくなる。きっとあのときそばで大人しく待ってくれた彼女はもっと恥ずかしかった。今はとっくに忘れてくれて、いたらいいけど。

無事に映画館に着けたけれど、映画館でチケットを買ってから、近くで急いでご飯を食べた。ばたばたしたので、全然スマートじゃなかった。あのとき、今のスマホがあれば、もう少しスマートにできただろうな、なんてことを、グーグルマップを開いてご飯を食べに行こうとするたびにちらりと思い出してしまう。

 

紙を広げて見ていたころは、迷うことはあまりなかった。目の前で広げないで行こうとするから迷ってしまった。

でも今は反対。

ガールフレンド(僕もたまにはそういうことがある)とデートに行こうというときに、お店を調べておいて、一緒に歩く。

堂々とスマホの地図を片手に歩く。

「ちょっと、地図見ながら行きますね。スマホ片手に失礼します」

女の子の手前、一言断るのもマナーでしょ、なんてことを思っていう。でももしかしたら女の子は心の中で舌打ちしているかもしれない(ちっ、場所くらい、来る前に頭に叩き込んでおけよ)。デートの相手がそんなことを考えていたら恐ろしいので、深くは想像しないようにして、地図に集中しながら、一緒に歩く。

紙だったら恥ずかしかった行為がスマートフォンの中にあるとそんなに恥ずかしくない。同じ行為なのに、いったい何が違うのだろう。向けられている人の目かな。むしろちょっとかっこよくすら見えないか。そんなことを思っているのは僕のほうだけで、歩きスマホ、ダメ、ぜったい。

自分の位置が青い点になって表記されているので、それを信じて歩き始めるのだけれど、これがいつも、僕をとっても迷わせる。青い点がちゃんと僕がいる位置になっていないことがある。突然全然ちがうところに点が動く。

たぶん、GPSで最後に僕の位置情報をたどったときとのタイムラグがあるせいだ。人のが多いところほど、今の自分の位置をいつまでも反映してくれない気がしている。

「あ、自分の位置が違った、ごめんごめん、ちょっと通りを間違えちゃった」

「一本違う通りだった、ちょっと戻るね、ごめんね」

女の人は地図が読めないとよくいう。本当かどうかは全ての女の人に確かめないと証明できないにしても、どこどこに行こう、とはじめに行ったのは僕のほうだから、案内しないといけないのも僕のほうなので、がんばらないと怒られる(誰に)。使い方にも慣れてきて、青い点をちゃんと反映させておけるように、待ち合わせ場所についてから地図を開いておくようになった。そうするとわりと迷わずに目的地にたどり着ける。

少しだけ、スマートになった。

それでも、いつまでも青い点が反映されずに方角がてんで合わないこともある。大失敗、ぎりぎりになって、やっぱりバタバタしてしまう。
結局今も、すごいスマートだ、とはいいがたい。

地図を読むこと、実はちょっと、難しいスキルなのだ。

 

地図は昔より便利になった。

でも使う側も一緒に利口にならないと結局スマートにはできない。

スマートって、本来の意味は、かっこいいではなくて、賢いだから。

地図は、スマートに。