アオアルキルキア

不定期連載

転勤したら、一本書ける

コロナではない日記。リモートワーク六日目。

今日も仕事で、大阪支社の人と電話した。気のいいおじさんという感じの人。資料の修正をお願いすると「もう大阪で働いてくれたらいいのに」といわれる。福岡支社の人にもおなじようなことをいわれた。本社はクライアントから新しい枠を獲得して、その枠の人員として僕を採用したので、しばらく転勤することはない。大阪の人も福岡の人もわかっているから、ほとんど冗談のような勧誘だ。でも実は、ちょっと心が動いている。

一度くらいは、転勤したい。

大阪でも福岡でもいい。東京以外に住みたい。東京以外、僕は全然わからない。僕は海外にも行ったことがない。それどころか、日本の中でも行ったことのない都道府県がいっぱいある。住んだことがあるのは長野県と東京都だけ。長野はだいぶ幼いころだったので、もうほぼ東京。それを同世代に話すとシティーボーイだ、といわれる。いいなという人もいれば、揶揄する人もいる。東京に生まれたらそんなものだよね、という人が一番多い。

そうなんだけど、ちょっと、悔しい。

というか、聞いていると自分に厚みがないように思えてくる。コンプレックスというのはそれぞれの当事者にしかわからないもの。都会でぬくぬくと育ってきた、というのもまた負い目になる。いったい何を背負うのか、ばかばかしいにもほどがある。でも東京生まれじゃない人が、東京に思いをはせるのといったい何が違うのか。

 

ミュージシャンのインタビューを読むとこう書いてある。

「地元が田舎で、何にもなくて、バスも一時間に一本、遊べる施設なんて一つもなかった。小遣いもらったら、小旅行みたいな気分で一日使って、新幹線が止まる駅まで行って、CD屋さんにいった。こんな町じゃだめだって思ったよ。とにかく見えてる風景が全部嫌だったんだ。絶対上京してやろうって思ってた」

 

僕の実家は東京の府中市(どうせなら、世田谷とか白金とか中目黒とか二十三区がよかったよ)。電車が十分に一本、そこから十分くらい電車に乗って、三駅くらい、大きいCD屋さんがあって、たいていのCDが買えた。だから不便ではなかった。でも僕にはストーリーがない。最初から全部ある街って、ふりかえり甲斐がない。僕はいつでも形から入るタイプ。いずれインタビューされるだろうな、と妄想することがある。でも東京の実家だと物語るものが少ない。

「生まれはどこでした?」東京の府中市でした。「ああ、東京競馬場がある」あー、そうですそうです。インタビュアーも東京にいたら、町を知っている恐れがある。そうすると、知っているので聞いてこない。ストーリーが語れない。反対に「え、府中市、知らないですね。どんな街だったんですか?」あ、東京競馬場がありました。「へー。競馬場? よく行ったんですか?」いや、子供だし、興味なかったですね。「あ、馬券買えないんでしたっけ(笑)」知らなくても、きっとこんな感じで終わり。かっこわらい、が出たらいいほうだ。本当は「こういう街で、絶対ここから抜け出したかった」とかいいたい。でもそういうのがない。ないから、いけないような気がする。表現者として、薄いんじゃないかと考えてしまう。

 

東京にいない人で、東京に行きたいと思っている人がこれを読んだら、自慢のように聞こえるかもしれない。でもその人が僕は羨ましい。

だって、上京ができる。

それだけで一本お話が書ける。それが羨ましい。東京に住んでいると、実家から、都心部に少し引っ越したところで、全然意味がない。いつでも帰れてしまう。上京じゃない。ただの引っ越し。そういう感じ。東京生まれだからこそ、かもしれない。

 

ニューヨークやロンドン、パリにいったらいいじゃないという人がいるかもしれない。でも、それは上京っていわない。移住だ。イメージは、あれ。ミュージシャンが歌う「東京」というタイトルの曲。上京した人が歌う特権。東京生まれが歌う「東京」だと、上京ストーリーがあんまりない。だってすでに京にいるから。

 

ないものねだりだというのはわかっている。東京出身じゃない友達が読みながら怒っているかもしれない。恵まれてるくせに! でも嫌味だと思わずに「わかるよ」って言ってほしい。貴方が東京生まれじゃなかったように、僕もそこには生まれなかった。その羨望は、お互い様だ。

 

僕が転勤したい、といったのはこういうこと。

転勤した土地で、僕はきっと苦労をする。地元の人にしごかれる。仕事なめやがって! これだから都会育ちは。これだから東京モンは。僕はムカムカする。それでいい。

「転勤になって、悔しくって、だから絶対東京に戻ってやろうって思ったんですよね、そのとき。絶対ここじゃダメだって思って」

転勤したら、物語が、一本書ける。