アオアルキルキア

不定期連載

ぬるい地獄

まだコロナではない日記。

 

今日も在宅勤務。遠隔操作では動作速度が遅く、エクセル一つ動かすのに物凄いストレスがかかるので、会社で貸与されたノートパソコンにデータを落として、ノートパソコン上で操作していたら今度はノートパソコン自体の動きが遅くなって辟易してしまった。一番ありがたいのはプライベートと仕事と両方で使えるデスクトップを会社が買ってくれることじゃないか、などと考える。まあ、絶対買ってくれないが。

今日はしんどかった。今年のはじめ、僕はnoteという媒体を始めた。毎月一日には小説をあげ、十五日に詩をあげる、というルールを設定してしまった。最低一年は続けてやろうと思っていたが、そんな中で緊急事態宣言が発令された。こんなこと、なかなかあることではない。何か、何でもいいから何かを書き留めておかないといけない気がした。そしてあろうことか毎日日記をあげることにしました、などといってしまった。いったのは自分だし、誰からいわれたことでもないのに、僕は僕を追い込んで、何がしたいのか。ドМなのか。

仕事を終えて、一時間で夕飯を済ませて、三時間で小説を書いた。小説って本来、速く書きあげてもいいことなんてあまりない。締め切りを間に合わせるのは重要だが、三時間で書いたぜ、みたいな速度は実は全然評価できることではない。なぜなら小説は、というか、僕が書くものに限って言えば、読みかえすほどよくなるからだ。ということは、読みかえしてないものはそんなに良くないものになってしまう。

いや、なってしまうなら、発表するなよ。

いや、でも自分で、あげるっていっちゃったし、僕はなるべく、一度決めたことは意地でもやり通すことにしているし、だからこれも、意地でも守らなきゃだめだよね。

意地って、なんの意地だ。ダメって誰に対するダメなんだ。

 

ちょっと前、毎日一首短歌をあげる、といったことを、僕は宣言してしまった。

一度いったことは……と、また、同じスタンスが顔を出して、本当に、ただの意地だけで、三百六十五日やり続けた。しかし短歌に必要な何かはずっと獲得ができなかった。一年続けても何が必要かわからなかった、ということがわかった。

時折もらう「いいね」は、それが時折であるが故、創作にもマグレがあるということを知った。本当にそれで食っていく人は自覚的にやる人だ。マグレではだめなのである。それがわかっただけでもいいじゃないか、などといって必死で無駄でなかったことにしているが、本当はただの徒労だったんだろうか。考え出すと苦しい。

 ひょっとして僕には意識的に、自覚的な創作ができないから、だから意地やルールを設けて、そういう気質を装っているのではないか、という恐ろしい可能性を思い浮かべてしまった。本当にそうなら、僕が書きたいこと、書かずにはいられないことって何一つないのではないか? いや、ある。あるよ、説明できないけど、あるよ。本当か? 本当に?

 ここは地獄だ。誰にも頼まれていない。でも何かを生み出さないと生きてはいけない気がしてしまう。本当は自分からその場に向かっていっているだけで、からっぽなんじゃないの? よせばいいのに。自分からこっちに来てるだけじゃない。でもそれが、そうせざるにいられないなら、どうしたらいいんだ。煮えたぎる血のかまどではない。自分から剣山の上に座るようなことをしてどうするの? そこにいかなくてもいいんだよ? そんな地獄はないんだよ? 僕はどこに向かっているのか。どこからきたのか。何者か。ゴーギャン。ああ、ゴーギャンか。僕はゴーギャンのようなことがしたいのか。絶対そんな大それたことじゃない。ただただ、何かに追われている。ただただ、何かをせずにはいられない。

これは、ぬるい地獄だ。痛い、しんどい、辛い、苦しい。でも罪があるわけではない、やらされているわけではない。つまり、耐えられるぐらいのもの。マイナスの方へと頭が傾くとやっていることの全てがバカげているように思える。死の気配。危険な香り。考えだすととまらず、怖くなる。このまま、こうしたことの全てが無駄だったら? 

 

始めちゃったから最後までやるって、生まれたからには生きてやるというブルーハーツに似ている。最終的にいろんな事やってみればいいじゃん、別に僕がどれだけ失敗しても誰も死なないしな、死ぬほど失敗しても最後には僕が死ぬだけだし、という結論になるとまた明日も続けられる。だけどどこかのタイミングで、あるときふと、気づいてしまうかもしれない。生まれてきたことも無意味ならこの意地も無意味、それって、今日やめても明日やめても変わらないんじゃないの? え、どうすればいいの? ここまでやってきたのに空っぽになるの? それなら僕は気がつきたくない。それで一体どうしたことか。どれだけ追い込んだところで、いったい誰が得するのか。でもまあ誰も得しなくても、最終的に僕が死ぬだけだしいいか。また同じ結論に至る。何回目か。何度目か。

なんのことはない。

考えるのが無駄なのだ。

やってみようと思ったから、やる、それでいいではないか、がはは。なんだそれ。

全部やってみる。全部書いてみる。全部失敗し続ける。そうして、やっぱり、さらに何かを始めてしまう。これは死ぬまで続く気がする。たとえ文学賞をとった所で変わらない気がする。小説を書いている限り、何かを世に出していこうとする限り、こんなことしてなんになるのか、ということの答えがでない。そもそも、じゃあなんで生きてるの。またお前か、ゴーギャン。いや、っていうかとれないから、安心して。とまた声が聞こえる。

また終わらない自問自答を続ける。 

もはや、意地で生きているだけなんじゃないの?

 

答えられる日は、くるんだろうか。