アオアルキルキア

不定期連載

忍耐力日記

まだコロナではない日記。

 

今日もリモートワーク。

日に日に遠隔操作に遅滞が見られる。とても非効率な業務が続く。イライラしてしまう。在宅業務日報でその度に書き添えるが「根気強くあって欲しい、忍耐力だ」と諭された。他の会社は、こういう不便と、どう向き合っているのか。元々在宅勤務を取り入れていた企業と、この状況下で急遽取り入れた企業とでは当然その質も違ってくる。

コロナが収束したころ、「在宅もやめだ、やめだ!」「やってられるか!」と、すぐに元に戻るような企業では、いつまでも、緊急時の質があげられない。ウィルスのない世界に戻ったとき、僕の会社もこの体験で得たものを活用できる企業であってほしい。

 

今日は、お昼休みにクリーニング屋さんにいって、出しておいたスーツを取りに行った。なかなか平日はできなかったことだ。ハンガーにつるされ、ビニール袋がかけられた状態で返してくれた。新調した気分で嬉しい。しかし、受け取ったものをカバンに入れながら、清潔レベルを考えてしまった。

清潔レベル。この生活が始まってから、僕が一番悩んでいることだ。

 

家を出て、自分の部屋に戻るたび最も清潔なものが一体どれなのかわからなくなる。

コンビニでもスーパーでも同じことだが、何か買い物をして、自分の部屋に戻ったとき消毒する順番にまず迷う。

仮に、外に出ていた僕が一番危険な状態であるとしよう。

ドアのノブを触り、玄関にはいる。玄関から、洗面台のノブを回して、手を洗う。手を洗ったので僕の手はもう綺麗になったと仮定する。次に玄関に置いてある除菌クロスのようなもので、ドアノブと洗面台のドアのドアノブをふく。そのあとに、買ってきたものを一つずつ取り出して、牛乳だのパスタだののパッケージ周りを拭く。

これも、順番がわからなくなる。

汚いものから拭いていくのがいいのか、綺麗なものから拭いていくのがいいのか。

つまり玄関のドアノブと、買ってきたものなら、どっちを先に拭いたらいいのか。除菌クロスは強力なので、どんな順番だろうと菌を殺し続けるのか? 本当か? どこかで負けて、菌をこすりつけている可能性はないのだろうか? 冷蔵庫や戸棚にしまう。だが、思い返してみると、唐突に買ってきたものを除菌するようになっただけだ。戸棚を全部除菌したわけではない。むしろ戸棚をまるっと全部除菌してからでないと意味がなかったのではないか? すでに部屋のどこかにコロナがいて、除菌した後にそのコロナがついたら?

さらに最悪な事態がある。様々なものを拭いていた除菌クロスを、途中で床に落としてしまったときだ。もうなにがなんだかわからない。床は汚いが除菌クロス自体は殺菌作用がある、むしろ、床を殺菌したのか? それとも床にある菌のほうが強力で、もうこの除菌クロスはその時点からばい菌になるのか? 捨ててしまえばいいところだが、今の世の中ではウェットティッシュがそもそも貴重なので、もったいない。気が狂いそうになる。

また、洋服、春物のアウターだとかリュックに至っては何度も洗ったりしない。この洋服を羽織る限り、あらゆるものが汚染されるのではないか?

 

クリーニング済みのスーツを、鞄に入れた場合もまた、迷いの渦に巻き込まれていく。

鞄が汚染されているのなら、スーツも汚染されたことになる。だが、クリーニングが終わったスーツはビニールがしてあるので、外側は汚染されても内側はセーフだ。けれど、クリーニング屋の中で、洗ってから、ビニールをかぶせるまでの間のどこかで、外気には触れている。その外気にコロナがあれば、むしろビニールの中に閉じ込めたことになっているのではないか?

清潔なものとはいったいどこから始まっているのか。

全てが存在する前から清潔を意識していない限り、無駄ではないか、という気がしてくる。生まれた瞬間から、殺菌した部屋の中で生きていない限り、外に出たものを消毒する行為には、終わりがあるように思えない。

さらにいえば、どこかのタイミングで、持ち帰ったコロナウィルスが、何かの条件がそろってしまい、ずっと僕の部屋のどこかで生き続けて、コロナが収束したあと、僕がそこに接触して感染して、またみんなに広めてしまう可能性もあるのではないか?

 

結局、どこで妥協するか、ではないのか。僕は消毒しながら、ただただ何かを消耗しているだけのように思えてくる。

忍耐力が必要な生活が、まだ、どれだけ続くのだろう。