アオアルキルキア

不定期連載

配慮より敬意

まだコロナではない日記。
今日は二週間ぶりに会社に出勤した。

 

在宅勤務の時間より、少しだけ早く起きて、スーツに着替えて、バスと電車と、乗り継いだ。少し前までは全く気にならなかった降車ボタンやつり革、スイカのタッチパネル、オフィスビルのエレベーターのボタン、カードキーをかざすドア、あらゆる接触を意識するようになり、自分から見える世界が完全に変わっていることを痛感した。

 

僕が働いている会社には、自社が持っているデータではなく、クライアント先のサーバーにつながる遠隔ブースがある。クライアント先に見せる資料作成のために必要なものを抽出するには、出社せざるをえなかった。久しぶりに出勤したら、在宅ではできないことに追われ、忙しない。人と会えないことが辛いと思っていたが、出社したら出社したで、思うことは多く、どちらが向いているのかわからなくなってきた。いつでも好きなときに街に出られて、お酒も飲めて、友達と遊べて、仕事は在宅勤務というのが理想だと思った。それが贅沢な思いなのか、それともこんな状況になって気がついた当たり前の要求だったのか。

スーツを着て、鏡を見ると少し髪が伸びてきたように思った。
美容院に行ったのは三月の半ばだ。

 

僕はいつも決まった美容院に行く。五、六年ずっと切ってもらっている美容師さんがいるのだ。僕より一つ上で、お話上手で、好きなものも似ている(と僕は思っている)。いつも予約するときは、サイトを先に見て、空いている時間を予約した後で、ラインを使って声をかける。

さすがにいつも通り予約できるとは思わなかったけれど、それでもいつもの手順を踏んでみると、直接問い合わせてください、という知らせが出た。そりゃそうだ。美容師さんにラインをしようと思って、ふと手を止める。僕の頭部は、こんな時にわざわざ美容院に行ってまで切ってもらうものなのだろうか。

 

でも、むしろこんなときだからこそ、その美容師さんのファンの一員として、お金を落とすべきなのか。もしかしたら、密室で密接で密集してしまう仕事であるだけに、本当は嫌だけど、切っているとか、表向きは閉まっていて、特別なお客さんだけ切るようにしている、客を間引いている、みたいなこともあるかもしれない。無理はしてほしくない。 

それで、こういう状況ですが、予約できますか? と、いうかお元気ですか? 大丈夫ですか?

というような趣旨のラインを送った。

少しだけお店は休んでいたけれど、今は短い時間で再開したそうだ。いつでもきてください、という。僕は先ほど想像したようなことがあっては申し訳ないと思い、いいそえた。僕の髪の毛は必ずしも美容師さんにきってもらわなければならないようなものでもないから、もしも、何かあれば、遠慮なく断って欲しい。自分はそれほど、相手にとって特別ではないように思い、配慮したつもりだった。

  

それに対しての美容師さんの答えは(考えてみれば当たり前のことなのだろうけど)、僕には感動的だった。

 

自分を指名してくれるお客さんはみんな特別だ。わざわざ自分のもとへ切りに来てくれることがとてもありがたく、それは世界がコロナである前からずっと思っていることであり、世界の状況とは関係がない敬意なのだというのだ。

 

 答えを聞いた瞬間、僕はとても失礼なことをしたように思った。そしてなんだか恥ずかしくもなった。配慮などというのはおこがましかったのである。切って欲しい、と思わせる美容師さんに、僕は髪を切って欲しかっただけだ。僕がすでに美容師さんのファンであるという時点で、素直に、いつものように予約すればよかったのだ。美容師さんはこんなときだろうが、なんだろうが、僕に対して態度を変えるはずがなかった。それがプロフェッショナルなのだ。

 

 コロナが蔓延している今、外をほんの少し歩いただけで、世界は違って見えてしまう。だけど、あらゆるものをコロナに結び付けなくてもいい。そんなこととはまるで関係がないところでも、違って見える世界は十分にある。というか、ずっと前から、あったのだ。

 

エッセンシャルワーカ―に敬意を払おうなどと、こんなときになって突然慮るのはとても胡散臭い。彼らはもともと、そんなこととは関係がなく、プロフェッショナルだ。

コロナとは無関係に、最初から敬意を持つべき存在であったのではないか。