アオアルキルキア

不定期連載

ふくらむ声

まだコロナではない日記。

 

今日もリモートワーク。外は雨、世間は祝日、僕は在宅。体温を十八時に測ったら三十六度丁度だった。相変わらず平熱が低い。今日は仕事の合間に小説を朗読していた。

川端康成「掌の小説」これは、川端康成の短編、掌編を集めた小説集だ。百篇以上の短編が一冊に編まれていて、毎日一作ずつ読んでいったら、最後のほうを読んでいるときにはもう、最初のほうを忘れているかもしれない。僕はずいぶん前から持っているけれど、いまだに全部読んだことがない。通して読んでしまうと、どれかを忘れてしまうなら、適当に開いて、適当に読んでいったほうが、印象に残るような気がしている。

どうして、仕事の合間に、朗読なんかをしていたかというと、実は今日、友人たちを集めて、オンラインの朗読会をやったのだ。

あらかじめ、ルールを決めた。

参加者には二つ作品を選んでもらう。

一つは、課題図書(ときめた)川端康成「掌の小説」の中から好きなものを一作選んでもらい、一、二頁程度朗読する。

もう一つは、自由図書、各々が好きな本を選んで、同じく一、二頁程度朗読してもらう。

 

仕事が終わり次第、始めた(というか、仕事だったのは僕だけだったが)。

女の人は四人、男の人は僕を含めて、二人。六人のメンバーが集まり、くじ引きで順番を決めて、それぞれに読んでもらった。はじめの人は、女の人。彼女はゆっくりと、丁寧に読んでいた。二人目の男の人は、まるで声優さん、何者かになったようで、普段とはだいぶ違う声が聞こえる。三人目は女の人、さながらアナウンサーが伝えるようなはっきりとして、それでいて、強くはない、上手な語り口。四人目も女の人。彼女は二人目の彼とは対照的で、普段の、そのままの声で、さらさらと読み進めていった。おもしろい。いろんな個性がでてるものだ。選ぶ作品も、それぞれバラバラ。もしかしたら誰かと誰かが被るかな、と思っていたけれど誰も同じものは選ばなかった。

五人目は僕の番。練習した通りに朗読するはずが、どきどきしていて声がうわずってしまう。一度読み始めてしまうと、ちょっと待ってとはいえない。冷めてしまうから。引き込ませるように読むことは僕にはできなかった。ただただ読むことだけで精一杯。課題図書のほうで選んだ小説は「月」。童貞が出てくるのに、女の子もいっぱい出てくる。

川端康成っぽくていい(僕が川端康成の何を知っているのか)。

イメージしていた声と実際に発した声が、緊張しているので、少しずつずれていく。もどかしい気持ちになりながら、たどたどしく、なんとか読み終える。練習のときの方がうまかったんだ、といってしまって、かっこわるい。

でもたぶん、自分が部屋の中で、読んでいるものと、他の人たちが聞いていると思いながら、聞く声は、どうしても違ってしまう。いうなればチューニング。慣れてきたらいいんだけど。

最後に残された女の人の番になる。彼女の声も、またみんなと少し、違う温度と空気の発話が続く。いつも聞いている声のようだけど、いつもは口にしない言葉がある。厠なんて、いまはあまりいわない。昔の言葉。同世代が口にする昔の言葉や言い回しが、その人の声の違う部分を見せてくれるのかもしれない。

一周したので、自由図書。それぞれがどうしてこの本を選んだかを説明する。ほとんどの本が一、二頁では終わらない。

どんな本かの説明から、その中の一、二頁を選ぶというのは、その本の中で、その人が一番響いた部分が多い。そこに至るまでの話から、一部分だけを抜粋して、声に出す。

それは、選んだ人の個性、そのものなのだろう。

読者だった人が、心の中に響いたものを外に出す。話者になるということ。その選択が、聞いている側にまた響く。書く言葉、声にする言葉、同じ言葉でも人によって響く場所が違う、声によって響き方が違う。いろんな声が、ふくらんだ。

あっというまに終わりの時間になった。

 

僕は声にだしていった。

「おもしろかった」

その声もまた、僕の中にふくらんで、響いていた。