ギビツミをもう一度
今日は在宅勤務だった。
緊急事態宣言のせいで、飲食店の営業時間が八時までとされている。
夜七時に仕事が終わる僕としては、時間がギリギリなので、ゆっくりできない。不要不急の外出は控えろ、というが仕事で外出せざるを得ないし、食事や買い物も必要なものしか買わない。それをするなというのは、単純に不満に思う。NHKのニュースによれば、緊急事態宣言が出る前と出た後で、飲食店の客入りが六割減だという。当たり前だが飲食店の人たちは在宅勤務もできない。どう生きたらいいというのか。政府の対応はいつだって、補償するお金は足りないのに、悪いことをするお金はたくさんあるように見えてしまう。
今日は新たに緊急事態宣言の対象地域を拡大することが決まった。
新しく対象となった都府県は、大阪、兵庫、京都の関西三府県、愛知と岐阜の東海二県、それに福岡、栃木だそうだ。明日からだという。これにより十一都府県に緊急事態宣言が発出されることになった。基本的な内容はほとんど変わらないそうだが、四十七都道府県の内、十一都府県とは、ほぼ四分の一といえる。一つ一つの政府の判断に僕たちの未来が含まれている。一体いつになったら、僕たちの未来は明るくなるのか。
どんなときでも政府や社会に不満や文句があるのは、致し方ないことかもしれない。総理大臣もまた「誰がやっても文句が言われる」とよくいわれる。僕たちの未来を不安にさせるなよ。安心をくれよ、幸せにしてくれよ、などと訴えたくもなる。では試しに、文句を言わない関係性を考えてみる。お互いが安心できる関係とはどういうものだろう。一つに、それは信頼しあえることが重要ではないだろうか。どんなに信頼しあおうとも、未来はわからない。不安はなくなることはない(それは誰がやっても文句を言われる総理大臣、に少し似てはいやしないか)。
でも信じあうことができたら、未来は少し、明るく見えるような気がする。
忌野清志郎さんに「ギビツミ」という楽曲がある。それはかつて愛しあった〝君〟に対しての幸せを思う‶僕〟の祈りの歌だ。歌詞を引用する。(作詞:忌野清志郎)
――待ってはみたのさ 我慢もしてた/暗い夜だよ 君の笑顔/もう一度 Give It To Me 僕におくれよ
不思議な歌詞だ。相手の幸せを祈りながらも、僕におくれよ、とくりかえし歌う。
――僕らは与えあって 夜毎に震えていた――(中略)――星に祈りを この世界に愛を/僕は祈るよ 君の幸を もう一度――
政府が本当に僕たちの幸せを祈るのなら、僕たちは与え合うことが必要だ。
単純に給付金がもう一度欲しい、ということがいいたのではない(欲しいことは欲しいが)。僕たちが政府を信頼できないのは、政府もまた、僕たちを信頼していないからではないか。感染者が増えたのは本当に僕たちが夜中にお酒を飲んだからだろうか?
その間、君たちは何を与えてくれただろう。
僕たちは君に何を与えただろう。
僕たちはいつまで、与えあう愛の世界を待ちながら夜毎に震えなければならないのだろう。
(今日の東京の感染者数 一四三三人 NHKニュースウェブより)