アオアルキルキア

不定期連載

フォークが刺さる

今日は出社した。

緊急事態宣言が出され、極力出社しないように、といわれたが僕の業務はクライアントのサーバーから映像データをバックアップしなければならず、それが遠隔ではできない上に、録画映像なので、時間が経過していくごとに古いものが消えていってしまうため、こまめに出社しなければならないのである。

さらに今日は内部監査室というところの面談もあった。職場の第三者機関のようなところで、いろいろ言える場らしいのだが、僕は今の職場でだいぶのほほんとしているので、いうことがない。前職だったら、たくさんあったな、とぼんやり思った。

 

前職はだいぶブラック企業じみていた。

前職にもし内部監査室などがあれば「今の状況はおかしいから、どうにかならないか」「あの人とうまくいかなくて、ストレスを抱えている」ということで環境改善ができたかもしれない。そういうものも作れないほど余裕のない企業だから、ブラックだのなんだのと言われるのだろうが。なんでそんな企業に勤めていたかといえば、僕が三十歳になってはじめて正社員として働いた場所だったからである。僕にはそこをやめたら後がないと考えていた。

 

二十代の頃はずっと本屋さんでアルバイトをしていた。

そのアルバイトが長く、自分は就職できないし、したくないと思っていた。

僕はずっと、作家以外になりたくなかった。

初めて就職を考えたのは二十八歳ぐらいだ。

就職しようと思ったところはいくつかあった。だけどどこもうまくいかず、数か月でやめてしまった。あるときは人間関係で、あるときは働くというそのことそのものに、一切の自信を無くした。そのときの挫折、うまくいかなかった事情、心の動き、自分の頼りなさを書きはじめると、とても日記という分量ではなくなるので、ここでは書かないが、そういうこともあって、自分は能無し、社会不適合者といった卑屈な気持ちでいっぱいだった。それでも僕はとにかく正社員にならなければいけなかった。それは当時の恋人に喜んでほしかったからだ。今思うとその人がいたから僕は生きられていたのかもしれない。彼女は僕と家庭を作ることをよく夢想し、笑っていた。僕もそういう未来を夢見た。しかし、いざはじめてみた就職活動はことごとく失敗した。ボロボロの精神状態の中、最終的に僕は「受け入れてくれる場所があればどこでもいい」という結論に至った。

実際、探してみても、ここがいいかもしれないと思うところは大卒以上というのが大半だった。探せばもっとあるよ、といってくれる友人は多かったが、そういう人たちの中で僕と同じように大学を出ていない人、はほとんどいなかった。だからそんなこといったって、君は僕の経歴とは違うから、わからないんだよと思っていた。同世代の人たちが皆輝いて見えて、友達と話をするのも苦しかった。

そういう経緯があって、やっとこさ入った企業が、そのブラック企業だったのである。

その上、入って数か月で、件の恋人とは別れてしまった。

踏んだり蹴ったりにもほどがある。人生山あり谷ありっていうか、奈落の底しかないがな。

 

ブラック企業に勤め始めて数か月はわりと働きやすかった。しかし途中から部署移動になり、徐々に過酷になっていった。毎月七十時間以上残業していた。新しく入る人も、続かなかった。僕も指導役に回ったが、新しい人がきても厳しく当たってしまったこともあった。給料も安く、心に余裕もなくなり、仕事から帰れば寝るだけ。今思い返してみても当時の生活は、自分が自分でなくなるような、地獄のような環境だった。死にたくなることもあった。こんなことをしている場合じゃない。僕はこんな人生を生きたいわけじゃない。

なんでこんなことしているんだろう。

なんでこんなところにいるんだろう。

悶々として、仕方がなかった。

あるとき、僕はその企業にいる理由に気がついた。

僕がそこにいるのは職場の元上司への情だけだったのだ。

その職場で、僕に仕事を教えてくれた人はアル中だった。僕はその人に仕事を一から教わっていたので、尊敬していた。その人はお酒のせいでどんどんと壊れていった。見ているのが辛かった。その人がどんどんダメになっているのが悲しかった。元に戻って欲しい、お酒をやめてほしい、施設でも病院でもいいから健康に戻って欲しい、そのためならいくらでもかわりに働くから、とにかく今の状態を改善してほしい、と願い続け、本人にも何度も言った。責任者や上役の人にも訴えた。職場で泣いてしまったこともあった。けれど当人も、会社も何もしてくれなかった。

上役の人はいった。「アル中は治んないから」

僕はそんなことを聞きたかったのではなかった。

人は変われない。環境は変わらない。

僕は僕しか変えられない、と思った。

僕がここにいようがいまいが、ここにいる人たちは、今の状態から変わる気がないのだ、と気がついた。

 

スネオヘアーさんの歌に「フォーク」という楽曲がある。

歌詞を引用する(作詞:渡辺健二

――僕の中にあるフォーク それで毎日を突き刺して/トマトみたいに/食べてしまえばいいさ――沈む話はここまででいい/そこに輝ける明日は何もない/夢の中で会うPEACE/それが現実とあきらめて 瞼の裏で笑っていればいいさ――

 

僕は転職をすることにした。

そこで働く前、僕には何もなかった。

でもそのブラック企業で働いた地獄のような日々を職歴として書けることは大きく違ってみえた。はじめての就職活動とは違う気持ちで働いた。中途採用は、どこを卒業したか、よりも何をやってきたか、を見てくれるところがほとんどだった。そこでやってきたことを職歴として書くことができた。それは僕にとって大きな違いだった。

ブラック企業で得たものは自信だったのかもしれない。勇気だったのかもしれない。

探す仕事も「どこでもいい」から「そこがいい」という気持ちになっていた。

 

――これからも憧れで/手に触れられないもの 風向きのせいにして どこまで行くのだろう――

 

残業が少ないところ、給与は少なくてもいいから、自分の時間が持てる職場。意外とすんなり見つかってすぐに面接を受けてすぐに採用が決まった所もあった。もうそこでいいや、と思ったが、転職の相談に乗ってくれた友人たちが、そんなにすぐに決めて大丈夫? と僕の身を案じてくれた。そのときは、以前のように「そんなこといって君たちは大学出てるじゃないか」などとは思わなかった。少し立ち止まり、もう少し吟味することにした。転職活動中、自分でエクセルの本を買ってきて一から勉強もした。

その結果、今の職場で働くことができた。

給与は決して高くはないが、それでも前職よりはずっと良かった。その上、自分の時間が持てるし家からも近い。これ以上ない理想の職場に出会えたと思っている。この職場に採用されたのは、前職でやったことが大きかった。劣悪な環境下の中で、僕なりに得たものがあったのだ。

 

僕は僕を、少しは変えられたような気がしている。それは簡単なことではなかった。そのアル中の元上司のことは今でも好きだが、もう連絡を取っていない。

 

――そんなにも簡単に/嫌いになんてならないで/そんなにも簡単に さよならなんていわないで―― 

 

そこをやめたのは確かに僕だが、簡単にさよならしているのは、果たして誰だろう。

彼らの日々にも、いつかフォークが刺さればいい。

 

 

(東京の感染者数 九七〇人。重症患者は過去最多一四四人。NHKニュースウェブより)