アオアルキルキア

不定期連載

「ハイウェイ」で新しい世界

今日は在宅勤務だった。

 

夕方、会社の人から電話があった。ブルートゥースにつながった状態で車を運転しながらその人は、かけてきた。用件を話すと次いでのように「グーグルで調べてほしいことがある」といった。「○○キロ以上の速度超過は何点切られるのか知りたいんだよね」僕は人生で初めて、そのことを調べた。点数をいうとよかった、大丈夫だと笑った。その人は続けていった。

「何点切られると免停になっちゃうからさぁ。ちなみに罰金はいくらだっけ?」

そういえば僕は、国に、罰金を払ったこともない。そうか、普通に自分の身近にいる人は罰金を払うことがある世界にいるんだ。三十五歳になってもなお、僕は無知であり続ける。誰かにとっての当たり前の経験も、別の誰かにとっては死ぬまで知らないままであることがある。その当たり前のことに、僕はことあるごとに直面する。僕は何一つ、物を知らない。

 

僕は免許を持っていない。僕の両親も持っていなかった。僕の家族で、免許をとったのは兄だけだ。僕は免許を持たないまま一生を終えるかもしれない。でも僕はそもそも、取りたいと思ったことがあまりない。不便もそんなに感じたことがない。東京に生まれ、東京で育った。どこへも行けたが、そもそもそんなにどこにも行ってない。むしろ僕は、免許を取らない理由の方が明確に説明できる。

僕が免許を取らない理由の一つ目は、まず誰かが後ろに控えているという状態が耐えられない。自分がモタモタして、クラクションを鳴らされたら赤信号だろうがなんだろうが、慌ててアクセルを踏んでしまいそうだ。危ない。

二つめは、自分のことは自分が一番わかるというか、僕はたぶん、車の運転がへたくそだ。運転をしたこともないが、絶対に下手だと思う。自信を持って言える(それは自信とは言わないのだろうが)。何かに気をとられて電柱に衝突しそうだし、煽られてガードレールに衝突しそうだし、山を登れば崖から落ちる気がする。免許を持ってないほうが安全だ。

三つめは、あえて車に乗る理由がない。旅行は楽しい。行きたいところはいっぱいある。でもどちらかというと僕は誰かと一緒に行動を共にするとか、誰かに会いに行くとか、何かを見に行くとか、そういうことがしたいだけのように思う。免許を取らない理由をあげればまだまだあるだろう。百個くらいあるかもしれない。

……でも、実は免許を取ってみたいと思ったことはあんまりないが、車で走ってみたいところは、一つだけある。

ハイウェイだ。

いつか、ハイウェイだけは僕も車で走ってみたい。

 

くるりというバンドに「ハイウェイ」という楽曲がある。名曲だ。

二〇〇三年の映画「ジョゼと虎と魚たち」(犬童一心監督作/同名原作小説は田辺聖子さん作)の主題歌だった。僕の同世代が好きな邦画としてあげることも多い。この映画は、主演の池脇千鶴さんが体を張ったことでも有名だが、他にも部屋の中を泳ぐ魚たちのシーン、妻夫木聡さんが最後に彼女を捨てる場面など、鮮烈で記憶に残る。見た人がちゃんと‶覚えている〟映画だと思う。まるで僕たちの過去だったかのように。それはもちろん共感するということではなく(むしろ車椅子を使う女性との恋愛を体験する人は少ない)、僕たちの青春の中に‶「ジョゼと虎と魚たち」を見る〟ということが含まれていたような気がする。僕たちの十数年前の青春の中に必ず必要な映画だった。くるりは、この映画のサウンドトラックも作っている。サウンドトラックの中には池脇さんがサガンを朗読する曲まである。朗読なのに、サガンというタイトルの曲としか、いいようがない。また映画のサウンドトラックにしてはわりとコンパクトなのもかっこよかった。あの映画は、色んな意味で、僕たちの世界を更新してくれた。だから今も、そのことを覚えているのだろう。

 

 

ハイウェイは、僕にいつも新しい世界を教えてくれる。

「ハイウェイ」の歌詞を引用する。(作詞:岸田繁さん)

――勇気なんていらないぜ/僕には旅に出る/理由なんて何一つない/手を離してみようぜ――

 

 僕は今さら、車の免許、とってもいいかな、なんて思っている。旅に出る理由は、もちろんないのだが。

 

(東京都 コロナの感染者一五〇二人)