アオアルキルキア

不定期連載

鼓動が聴きたい

今日も在宅勤務だった。

 

リモートワークが続くと、僕は寝つきが悪くなる。他の人はどうなのだろうか。コロナ禍は、良くも悪くも、知らなかった自分の性質に気がつく。まず、なかなか眠くならない。布団に入っても、目が冴えてしまう。やっと眠ったと思ったら、度々目が覚める。

そして、夢もたくさん見るようになった。

 

数日前、朝のテレビ番組のワンコーナー、大型犬が夢を見ている動画が放送された。

どうして犬なのに、夢を見ているとわかるのか。それは確かめようがない。寝ているはずの犬が、横になったまま、バタバタと足を動かして、走っているようにも見えるし、犬かきでもして泳いでいるようにも見える。犬の飼い主が何度か名前を呼びかけると、ハッと体を起こす。寝ているときに体を動かしていたことから、夢を見ているのだろう、という推測ができるということらしかった。僕の家が昔飼っていた犬も同じように体を動かしていた。猫でも、同じように眠っているのに動いているのを見たことがある。きっと夢を見ている。その推測に僕も「のった」。犬や猫が見る夢とはどんなものだろう、どんな世界だろう。とても、気になる。怖い夢でないといい。僕は祈った。

 

子どものころ、怖い夢を見るのが本当に嫌だった。

なんとか見ない方法を考えた。

一生懸命考えているうちに、あることに気がついた。怖い夢を見るとき、僕はいつも自分の心臓に手を当てて眠っていた。横になったり、仰向けでいても、胸に手を当てたまま寝入ってしまうことがあり、そういうときによく怖い夢を見た。「自分の心臓に手を当てて眠ると怖い夢を見る」と僕は思いこんだ。自分の心臓の音を聞くと怖い目に合う、というのは僕の中で、なんとなく、腑に落ちた。身の危険を感じることと、自分の鼓動を感じることは密接に関係しているように思った。自分の、ということが重要だった。僕の家では子供のころから猫や犬を飼っていた。彼らの鼓動を聴きながら眠るのは難しいとしても、布団の中で猫や犬の胸に耳を当てると、気持ちは和らいだ。彼らの鼓動は、怖い夢どころか、優しい気持ちいっぱいにしてくれた。

だから、危ないのは自分の鼓動だけだ。
「自分の心臓に手を当てなければいい」という思い込みのおかげなのか、注意して眠るようになると、それからしばらく怖い夢を見なくなった。年をとるにつれ、怖い夢に引きずられることもなくなり、怖い夢を見たとしても、誰かに笑って話せる程度には耐性ができ、気にならなくなっていった。大人になって、怖い夢を見ることがあっても、前日、胸に手を当てていたのかどうかも覚えていられず、次第にそのジンクスも忘れてしまった。

 

二十歳頃だったと思うが、僕は動物病院でアルバイトをしていた。

そこは獣医さんが一人でやっている病院で、僕はアシスタント業務として雇われた。当時僕は獣医さんになりたかった。毎日色んな犬や猫がやってきた。楽しいことも苦しいこともあった。アシスタント業務の中には、保定といって、患者となる犬や猫(患畜ともいうそうだが)を押さえる仕事があった。血液検査の際、犬や猫の血を抜かないといけない。そのときにしっかりと暴れないように押さえることを保定といった。小型犬の保定が一番神経を使った。

保定は、血を抜く以外にも行う場面がたくさんあった。処置をほどこすためにはとにかく動物をじっとさせなければならない。たくさんくる動物の、たくさんある処置の、その内の一つの処置、その内の一頭に、シベリアンハスキーがいた。彼は耳の病気を患っていた。こまめに耳掃除をしにやってくるのだが、そのシベリアンハスキーはとてもおとなしかった。

僕がその病院で一番安らぐ時間だった。

大きな犬を診察台に載せ、後ろから、抱き着くようにして彼を押さえた。暖かな体温と共に、その犬の鼓動を感じた。

 

朝のニュース番組で、犬が夢を見ている姿を見て、僕は久しぶりにそのことを思いだした。安心して眠って欲しいという思いが、結び付くようにしてその犬の鼓動を思い出させた。動物病院にやってくる犬や猫は大抵、怪我や病気を持っていた。治療や処置をするための保定には緊張感が伴い、心が休まる場面とはいえなかった。そういう状況下で、大人しく、ただ耳を掃除してもらうためにきている犬、身をゆだねてくれる鼓動に、僕はずいぶん安心をもらっていたのだと思った。懐かしさと共に、その安心をまた、感じたくなった。

 

木村カエラさんに「BEAT」という楽曲がある。民生さんが、曲を作った。以下に歌詞を引用する(作詞:木村カエラさん)

 

――(中略)ふがいない ドキドキ鼓動/ほのめかせ ソワソワ鼓動

  持って 生まれて 手にした宝物/回って 動いて 見失い 消えそうになって/回って 動いて 見失い 消えそうになって/泣いて 笑って こわれかけた僕らは/持って 生まれて 体にかざり込んだ(中略)――

 

音楽にはビートがある。人や動物には鼓動がある。僕たちが今聞きたい音は安心の音。コロナ禍で、夢をたくさん見るようになり、いつまた怖い夢を見るとも限らない。過酷な毎日、苦しいことや悲しい出来事が続いている。不安もぬぐえない。自分の鼓動は聞かないように。だけど、誰かの鼓動をききながら眠りたいくらいには寂しい。夢を見ている犬の鼓動は、どんなだろう。そんな音色を、とても愛おしく思った。

 

(本日の東京の感染者数 六七六人)