一石二鳥をつめる
今日も在宅勤務だった。
少しずつ引っ越しの準備を始めている。緊急事態宣言は、まだ終わらない。
引っ越しまでまだ二週間ほどあるが、僕は要領が悪いので、一日一つずつ、部屋にあるものを、箱に詰めていくことにした。
「引っ越しをする」ことと「毎日日記を書く」ことは何一つ関連性がない。それでまた、思いついた。そのことを書いたらいいのだ。
今日から、一つずつ、箱に詰めるものを書いていく。箱には数字をふっていく。
今日は一番の箱について書く。これで、新しい部屋に移動したとき、何番に、何が入っているかもわかる。一石二鳥だ。僕もなかなか賢いのではなかろうか。
毎日、段ボール箱にしまう。
部屋にあるものを手にとって、どうして僕の部屋にそれがあるのか、などを考える。あらゆるものには歴史がある。小さな、わずかな、一瞬の昔話を、一箱ずつ、しまいながら、記していく。ただの物に、愛着がわく。汚れているものは捨てるかもしれない。全てを新しい部屋に運ぶわけでもないだろう。それでも、連れていくものもある。部屋から部屋へ、歴史が「動いた」瞬間だ。
一つ目の箱は、クローゼットの上にあるものにした。
一番使わないものから、しまっていく。引っ越しの基本らしい。
小さな扇風機や画材箱が出てきた。扇風機は、レトロなデザインがかわいいので、気に入っている。画材箱には、絵を描くために必要な道具をまとめて入れてある。大層なものではない。僕は一時期、アマゾンでミネラルウォーターのエビアンを箱買いしていた。その段ボールの蓋を切り取ったら、画材箱のできあがり。僕は気が向いたときに絵を描くことがある。木炭、消しゴム、クレパスにスケッチブック、油絵具、水彩絵の具、絵筆、ねりけし、そういったものがごちゃごちゃと乱雑に入っている。新しい部屋でも、また絵を描くかもしれない。だから、持っていく。
エビアンは今でもよく飲むが、箱買いはしなくなった。新しいところで、また始めてもいいかもしれない。色んなミネラルウォーターを飲むがエビアンが特に好きだ。
江國香織さんの小説「きらきらひかる」で、とある登場人物が好んで飲む。ゲイの旦那さんだったと思うが、かなり昔に読んだ。実家にあるので今、確かめることができない。僕は動いたが、実家にある本は、動かなかったものばかり。それも、僕の歴史。
小説に出てくる固有名詞は印象に残るものとそうでないものがある。読んでいて、うっとうしいと感じる人もいる。良い悪いではない。その世界と、自分の世界が地続きであることに、違和感を覚えるか、喜びや憧れなどを感じるか、の違い。
僕の場合は、エビアンを説明するときに、毎回「きらきらひかる」に出てくる水だ、といってしまう。そう記憶してしまったのだから仕方がない。大人の男性が、お気に入りのミネラルウォーターがある、ということが、僕にはとても印象に残った。違いの分かる男、みたいでかっこよかったのだと思う。不純な、憧れだ。
同じ場所に、色んな説明書をまとめた封筒や、書きかけの日記が出てきた。日記のことを日記に書くのもなんだか滑稽なように思った。書きかけの日記は、まだ使えるところがいっぱいあったので、持っていくことにした。
「日記」を、広辞苑(岩波書店 第七版)で調べるとこのように書いてある。
とある。
「土佐日記」は知っているが、「御堂関白記」はなんだったか。習ったような気がするがすっかり忘れてしまった。僕は世界の歴史も日本の歴史も全然知らない。自分の歴史もおぼつかないのだから、当たり前のような気もするが。
続く――にき――というのは「にき」とも読むということだろうか。
「僕はにきを書いている」
そのいいかたは、ずいぶんかわいらしい。
さらに後の単語は――独歩――。
きっと、国木田独歩のことだ。――酒中日記――とはアル中の日記のことだろうか? 調べてみると、やはり国木田独歩の小説であることがわかった。今度、ゆっくり読んでみよう。そういえば、「きらきらひかる」の中に出てくる奥さんは、アル中だったはずだ。
今、僕が住んでいるところのすぐそばには、玉川上水があり、その桜橋という場所には、国木田独歩の石碑がある。同じく国木田独歩の書いたものに「武蔵野」というものがある。そこに、桜橋が出てくるため、記念碑が置かれているそうだ。その武蔵野から、僕は引っ越す。そして今日、一つめの箱について書いたときに、また新しい独歩の小説について知った。
繋がっているような、繋がっていないような。これは僕の歴史が、すれ違った瞬間だ。歴史は、こういうことの繰りかえし。
たまたま思いだしたことと、たまたま知ったことがすれ違う。
さて、明日しまうものはいったい、どんな動きをするだろう。
一つしまうごとに、一つ賢く、なればいい。
(本日の東京の感染者数 七三四人)