アオアルキルキア

不定期連載

レールになれば

まだコロナではない日記。

                                   

緊急事態宣言が始まって、二日経ち、「あ」からはじめて、今日は五月二十日。もう少しでひらがなが終わる。緊急事態宣言はまだ終わっていない。一か月で終わらないような気がした。でも四十五日ぐらいなんじゃないかと思っていた。けれど、それでは足りなかったようだ。もう一周ひらがなを始めてもいい気もしたが、次はアルファベットにする予定だ。

 

みんな、はやく元の生活に戻りたいはずだ。ずっとこの状況が続いてほしいという人は、少なくとも僕の周りではいない。在宅勤務が性に合っていて、このあともずっとこういう働き方がいいという人はいる。だけど、それは別にコロナで蔓延している世界であり続けることを望んではいない。誰もがアンチコロナだ。

 

少し前から、コロナの後の世界が語られるようになった。アフターコロナというらしい。働き方は少し変わるだろうか。生活様式も、変わるかもしれない。マスクはこの後もずっとつけ続けるかもしれない。人の接触も減るかもしれない。恋愛の仕方も、就職活動の方法も。考えるのも恐ろしいがコロナのせいで、戦争が起こる世界もありえないとはいえない。

影響は、湖の上の波紋のようで、広範囲にさーっと広がっていくだろう。

コロナがまだ収束していない今、僕たちの全ては想像、想定に過ぎない。

けれどそれは、とても重要なことだ。何も考えていないまま、その波紋でできた波に流されてしまってはいけない。今、防波堤を建てて、高台にのぼっておく必要がある。

 

僕たちはコロナに振り回されている。

緊急事態宣言は、果たして、今月末には終わるのだろうか。それとも第二波がやってきて、もっと状況が悪くなったりするのだろうか。

今、ここからはわからない。

いつかこの文章も過去になり、「この日記を書いてから、何日で緊急事態宣言が解除されたんだ」と思いだす未来があるだろう。

ほとんどが無関係な、僕のただの日常に過ぎないとしても、僕は過去の記事を読むことで、「一部の人に三十万より、多くの人に十万のほうがいい」と思ったことや「こんなどさくさに紛れて、日本の舵を取っている人には失望ばかりだ」と書いたことを思い出せるはずだ。それは未来のどこかで、意味を持つ可能性を秘めている。未来に備えた、僕の意思だ。

ふりかえるために書く。防波堤の上に小さな石を置くような、些細で、何の力もない意思が、アンチコロナになり、アフターコロナのレールになると信じて、今日も僕は日記を書いた。