アオアルキルキア

不定期連載

キッチンの様子

今日も仕事はお休みだった。

 

久しぶりに料理をした。冷凍のホウレン草と豚肉をバターと塩コショウで炒めただけのおかずだ。

僕にとっては、料理も勉強や仕事と同じで、やる気が必要だ。寝ながら、やることはできない。ボーっとした頭でもできない。今日は料理を作るぞ、というやる気にならないと、なかなかキッチンに向かえない。勉強するときの机や、お金がかかっているときの仕事と同じだ。食べ終わると後片付けがとても面倒で、それをやるにもやる気が必要なのだが。今日はたまたま、やる気が出た日だった。毎日やる気が出ればいいのになかなか出ない。それは「言い訳」なのだが、それでもやっぱり思わずにはいられない。僕の部屋のキッチンが狭いせいだ。

元々、僕は自炊ができると思っていなかったので、キッチンの大きさなど、こんなものだと思っていた。冷蔵庫も小さい立方体。食事は外食でいい、冷蔵庫に入れるものも飲み物を入れるくらいだ。独り暮らしを始めるときに思ったぼんやりとした計画は時間が経つにつれ、狂っていった。自炊を考えるようになるとキッチンの狭さは不便で仕方がなく、冷蔵庫に入るものも少ないので、やる気も出ない。在宅勤務が増えた頃、自炊にもやる気が出てきて、大きな冷蔵庫を買った。買い換えると、キッチンはさらに狭くなった。料理をする回数は増えたが、冷蔵庫が大きくなって、楽も覚えてしまった。冷凍食品をたくさん買うようになった。いいのだか、わるいのだか。

さて、では本当に料理にやる気を出すことに必要なことは何だろうかと考える。

 

石垣りん(一九二〇(大正九) 年― 二〇〇四(平成十六)年)(敬称略)という詩人がいた。

この人が活躍した時代は、男女同権がうたわれ、過渡期にあった。石垣りんの詩は、男たちの権利の全てを羨むほど、女たちがやってきたことに価値がなかったはずはない、女たちがやってきたこと、女の仕事だと思われてやってきたことはそれだけの価値があったことなのだ、と響いてくる。日本は令和になってもなお、男性社会の中にある。男性はもっと女性の詩を読むべき、女性の歌を聞くべき、女性を知るべきだ。石垣りんの詩を読んでいるとそういう気になる。それは僕が男性だからかもしれないし、女性が読んでも思うかもしれない。

それくらい、大きな声で、聞こえる。

有名な詩の最後の部分を引用する。「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」(石垣りん第一詩集表題詩)

 

――(中略)

炊事が奇しくもわけられた/女の役目であったのは/不幸なこととは思われない、

そのために知識や世間での地位が/たちおくれたとしても/おそくはない

私の前にあるものは/鍋とお釜と燃える火と

それらなつかしい器物の前で/お芋や、肉を料理するように/深い思いを込めて/政治や経済や文学も勉強しよう

それはおごりや栄達のためではなく/全部が/人間のために供せられるように/全部が愛情の対象であって励むように。

――

 

女も男と同じように政治や経済、文学をやっていい。自分たちがやってこられた家事は、たまたま女の役目だったけれど、そこにある絶え間ない愛にこそ、目を向ける。そうすると、これから、どちらの役目にもなりえるものにも必要なものが、わかってくるはずだ。

僕はこの詩がそういうふうにきこえた。

 

料理は、作る人も、与える人も、食べる人も豊かにする。僕は食べることにあまり興味がない。食べられたら何でもいいと思う。そんな僕でも、美味しいとは感じるし、自分で作った料理を食べたときは、少し、幸せになれる。今日のような休みの日、朝からずっと何もしていない日がある。それでも料理をすると少しだけ違う。「今日は一日ダメだった」「また無駄にしてしまった」というようなことをあまり思わない。少し幸せになったおかげだ。ジュージューとフライパンが立てる音は、僕のこころを静かにした。たとえ、僕だけが食べる料理であっても、愛をもって、励みたい。

 

いまだに日本は男社会、といったが、キッチンの様相は少し変わってきている。それは歌にも現れている。星野源さんに「キッチン」という楽曲がある。以下に歌詞を引用する(作詞:星野源さん)歌は、キッチンで目を覚ますところから始まる。昨晩何があったのか、歌の中では語れない。歌の中の私(一人称は歌の中で、一度も出てこない)の頭では、(おそらく)貴方(相手も出てこない)にいわれた言葉がリフレインして、時間が止まっている。心に穴があいたような状況で、ただ、昨日の料理の匂いを感じる。私は未来に、この出来事をどう思うか、と歌われる。

 

――(中略)いつかなにも/覚えていなくなるように/今の気持ちも 忘れてしまうのかな

(中略)飯を食べて/幸せだななどとほざくのだろう/つないだ右手 深く沈めて/笑った記憶 川に流して/安い思い出 静かに消えて/おかずの匂いだけを残して――

 

料理も、僕たちの間にある出来事も儚い。キッチンであったような思い出など、全部忘れてしまう。でも、そのことが切ないと歌えるのは、そこに愛情があるからこそだ。

日本の男性も、キッチンに愛情を持てる時代になったのではないか。

 

(本日の東京の感染者数は一五九二人 NHKニュースウェブより)