アオアルキルキア

不定期連載

ラブソングが聞こえそう

今日は在宅勤務だった。

 

明日、明後日は出社する。

明々後日は進捗状況によるため、わからない。出社したり、こもったり、日によって違うのは煩わしい。けれど、職種によっては毎日出勤しないといけない仕事もある。少しでも在宅勤務をしたいと思う人から見れば、僕は運のいい方かもしれない。世界がこうなることを見通して、今の仕事を選んだわけではない。昨年の四月からずっと在宅勤務の人もいる。元々、在宅勤務のシステムを導入していた会社もある。コロナ禍で、たくさんのお店が休業や倒産をしてしまった。

運がいいか悪いかを話せば、きりがない。

今日僕がコーヒーを飲めたのは、コーヒーが飲めなかった人より運がよかったからだ。今日僕が音楽をききながら文章を書けたのは、音楽も聴けず文章も書けない人より運がよかったからだ。今日僕が衣食住に困らないでいられたのは、衣食住に困っている人より運がよかったからだ。これまでに書いた数行、極めて偽善的で、何も言っていないのと同じだ。これは世界が平和でありますように、と平和な国で祈る他人事に似ている。誰もが幸せであって欲しい。これは誰もが思う本心であるが、ほとんどの人が、たくさんの人を幸せにできるほどの影響力を持っていない。

運の話をしていたはずが、幸せの話になっていた。次いでなので(なんの?)先ほど書いた○○できたのは○○できなかった人より「運が良かっただけだ」の部分を「幸せだっただけだ」に変えてみる。

今日僕がコーヒーを飲めたのは、コーヒーが飲めなかった人より幸せだったからだ。

なんだか、公益社団法人ACのCMじみてきた。運も、幸せも、そもそも人と比べるべきではない。でもどうしてなのか「私は不幸せだ」「僕は運が悪い」といったときに限って、主にお節介な他者は「それができない人と比べたら、貴方は幸せだ」と口をそろえる。また別のお節介は、コロナ禍で、自殺する人に対して、どうして自殺なんか、などと勝手に失望する。貴方は幸せなはずなのに、貴方は運がいいはずなのに、と。

本人が何を幸せだとするか、何に苦しめられるのか。それを決めていいのも、その苦しみを体感しているのも、当事者だけだ。別の誰かではない。

 

オスカー・ワイルド(一八五四―一九〇〇)の「しあわせな王子」という小説を半年くらい前に読んだ。ニ〇頁くらいあった。「しあわせな王子」はたくさん文庫本も出ているだろう、もしかしたら絵本も出ているかもしれない。それくらい有名なタイトルだ。僕が読んだのは柴田元幸さん翻訳叢書「ブリティッシュアイリッシュ・マスターピース」の内の一編。叢書とは、一つのテーマに集められたもの。柴田元幸さんがテーマを絞って小説を集め、翻訳した本ということだ。タイトルがテーマ。ブリティッシュは英国。アイリッシュアイルランド。そのマスターピース。その国の文学で欠かせないものということになる。

どうやって王子さまが幸せになるのか、勝手に期待して読んだ。でも最初から最後まで、少しも幸せな話ではなかった。全然幸せそうに見えないが、物語の彼は幸せかもしれない。先ほど書いたように、僕が勝手に決めていいことではないはずだ。あるいは、僕の感受性のせいかもしれない。もっと理解がしたい、と思って柴田さんのあとがきを読む。

以下、引用する。

――ワイルドにおける「しあわせの王子」の位置は、太宰治における「走れメロス」に似ている。どちらも決してストレートに教訓的、道徳的ではない作家が書いた、教科書に載せても大丈夫そうな、友情や自己犠牲の物語。これを作家の代表作とすることにはためらわざるをえないが、作家の作品群の中で、独自の光を放っていることも確かだろう。――

ははは。柴田さんの解説、面白い。「決してストレートではない」から「教科書に載せても大丈夫そう」というのがいい。この後、柴田さんはワイルドの半生も教えてくれる。また少し引用する。

――男色をとがめられ、猥褻罪で投獄。その後は失意の人生を送る――

ははは。ワイルド自身が、全然幸せそうじゃない。笑ってはいけない。でも少しだけ、「しあわせな王子」を理解した気にもなる。補足のように、意中の幼馴染が別の作家と結婚して失望する、ともある。でも僕はこの人の前半のほう、脚光を浴び、名声を手にする彼は、幸せそうに見える。慌てて、思い直す。こうやって考えることも、僕のただのお節介。幸せは誰かが決めることではない。本や文字だけで、勝手に決めつけてはいけない。でも、この人は○○そう、ぐらいはいいのではないか。どうせ勝手に思うなら、それぐらいがいい。大丈夫そう、幸せそう。可能なら、僕は運がよさそう、僕は幸せそう、これくらいに、思われたい。僕が僕自身に思ってもいいかもしれない。

 

スクービードゥ―というバンドに、「Love Song」という楽曲がある。すごくストレートなタイトル通り、聞いてて気持ちがよく、胸も弾む。以下に引用する(作詞:松木 泰二郎さん)

――(中略)変わっていく街や時代、文化より/自分をほめてやろう/手に負えそうもない/手に負えそうもない/生きてるだけで笑うよ――

 

なるほど、幸せそう、運がよさそう、などといっていられない。人生はそもそも手に負えそうもない。それなら運や幸せなど、考えなくてもよくなりそうだ。

 

(本日の東京の感染者数 一二〇四人)