アオアルキルキア

不定期連載

リ・クリエーション

今日もお休み。

 

夕方、物件を見に行った。

担当の女性が三つほど、条件に近いものをピックアップし、内見の案内は若い男性に変わった。男性は、僕から見るとまだ若い男の子だった。

彼が下っ端だからなのか、役割分担なのか、僕は不動産屋さんに勤めたことがないのでわからないけれど、担当の女性が男の子に指示をしていたので、彼が後輩であることには間違いがなさそうだ。

都心の不動産屋さんなので、駐車場が離れている。雨も降っていたので、男二人、傘をさして、寒い中、駐車場まで歩き、車に乗り込んだ。部屋に行くまで、彼はたくさん話しかけてくれる。それは退屈させまいとする彼の心遣い。車の後部座席に乗せられて、僕が住むかもしれない部屋に向かう。その間、彼はたくさん、彼自身のことを教えてくれる。

彼の情報。

彼の好きな音楽はマリリンマンソン。少し前、年が明けて早々、彼女にふられた。二十代後半で、これまでに誰とも恋愛をしたことがなかった。はじめての恋人だった。先輩や社長にダメだしされた。人見知りを克服するために出会い系アプリをやり、男だろうが女だろうが会ってみたところ、もれなくマルチやネットビジネスの勧誘だったということを学んだ。彼はいま、自分改造計画をやっている。子供の舌だから、ビールがおいしいと思えない。それで一杯目にカルアミルクを頼んでしまう。「空気が読めない」「そういうところだ」と怒られる。

僕が一つ尋ねると五つも六つも彼の話が飛んできた。これらはみんな彼が、部屋を見る人を退屈させない言葉なのだと考える。たとえ断片であってもいい。人の話はそれだけで、ドラマチックに聞こえる。彼がマリリンマンソンに心惹かれるようになったのはどうしてだろう。彼が好意を抱いた彼女は、いったいどんな人だろう。出会い系アプリで、マルチに勧誘する人たちの人生は、いったいどんなものだろう。自分を改造したくなる、その気持ちはどこから生まれるのだろう。いきなり甘いカクテルで怒られても、その自分は変えようとしない彼の空気も知りたくなった。

途中、住宅街を分け入った所で、車のカーナビが効かなくなってしまった。すると彼は僕にグーグルマップで住所を打って、案内してほしいと頼んできた。僕は自分のスマホでグーグルマップを開いて住所を打ち込んだ。いくつかの物件を見て、帰った。いいところがあったので、決めるかもしれない。

 

さて、日記を書こうと思って思い出したのは、物件ではなく、彼のことだった。

内見に行って、まさか自分が道を案内したのは初めてのことだ。夜の住宅街、迷ってしまうのは当然。怒ることではない。でももしかしたら、こんなこと頼んで、と怒ってしまう人もいるのかもしれない。僕が怒らずにすんだのは、なぜか。

それはたぶん、たった十数分で話せる出来事だったとしても、彼の生き方の断片に僕はどこか親しみを覚えられたおかげだ。内見をしにきたお客さんに、道案内を頼んでしまう彼を、僕は少しも憎めない。彼のことを少し教えてもらったおかげで、そういう空気にはならなかった。告白がダメだったとか空気が読めないとか、彼はいいことをあんまりいってくれなかった。確かに仕事にはあまり使えない体験かもしれない。でも彼の物語に興味を持った。

大げさかもしれないけれど、本にしたくなった。

 

バンド、スーパーカーに「Recreation」という楽曲がある。以下に歌詞を引用する。(作詞:中村弘二さん 石渡淳治さん)

 

――(中略)じっとただ前を/曖昧以上にしてきた/未来のRecreation/線でつなぐStaright/今絵になりそうな/透明のハートの絵――

 

この後の彼の人生も、きっと誰かに話したくなるような出来事にあふれている。それはいつか絵になる。それはいつか誰かの魂に触れる。たくさんの部屋にたどり着く前の、誰かの道の途中で、印象に残る人になる。彼にはそんなソウルがあった。

 

――光の層/空に舞うソウル/空に舞うソウル――

 

(本日の東京の感染者数 九八六人)

※ 彼の情報、性別、エピソードなどは実在の人物とは一切関係がありません。