アオアルキルキア

不定期連載

トラベラーズ

 

 

本日も出社した。

僕の会社のクライアントの中には、全国いたるところにある量販店もある。全国至る所にある量販店の店舗名は、その土地の名前がつく。

たぶん、僕がこの先一生足を踏み入れることがない街もある。僕に必要なのはそのお店のデータや数字だけ。そこを歩かなくても、そこを知らなくてもいい。どんな街なのか、想像してみても、全然わからない。北海道から沖縄まで、北から南、東から西、パソコンのマウスを少し動かすだけで、その土地の情報が入ってくる。東北、北陸、甲信越、北関東、東海、関西、近畿、四国、九州、知らなかった地名を知っていく。初めて見る地名は、たいてい読めない。

北海道には狸小路というところがある。たぬきこうじ。狸が出てきそうで、かわいい。

意地悪な地名もある。大阪の、上本町。かみもとちょうかと思ったら、うえほんまち。見事に全部読み間違えた。

愛知は変わった地名がいつも目を引く。名四丹後通りというところは、めいよんとも、めいしとも読むらしい。どっちでいう人もいると、いつまでも覚えられない。自分が言いやすいほうで読んでしまう。知立というところもある。ちたて? かと思ったら、ちりゅうと読む。知ることが立つなんて、かっこいい。僕は、立ちあがる竜を思う。千種(区)香流橋なんてところもある。千の種が香り、流れる。全部意味で読むと、せんだねかおりながれ。全部音で読むと、チシュコウリュウ。チシュコウルかもしれない。正解は、ちくさ(く)かなればし。一体どっちで読んでいるんだか、わからない。一体どんな橋だろう。一体どんな、流れだろう。

 

地名から、その音から、その意味を考えて、僕は会社の中で旅をする。

どこにもいかないで、パソコンの画面を見ながら、言葉の由来の旅をする。

僕はもう、人生の三分の一くらいを過ぎてしまった。

きっと行けるところは限られている。死ぬまでに読めない地名の旅がしたい。

そこを歩いたら、読めるようになるんじゃないか。どうしてそう読まれるのか、わかるんじゃないか。

でも実際にはなかなか行けない。

お金がないから、時間がないから、コロナがあるから、いろんな理由で旅に行けない。

だから僕は今日も頭の中で我慢する。

昔から、色んな人が、色んな旅を夢想した。

 

――月日は百代の過客にして、行き交う人もまた旅人である。――

 

僕でも知っている言葉。これは松尾芭蕉の「奥の細道」に出てくる。この人は本当に日本を旅して、行き交う時間、すれ違う人生を旅に重ねた。松尾芭蕉は江戸の俳人。旅をしながら、名句や紀行文を書いたという。動いて、想像した人。違う、この人ではなかった。

僕が旅を夢想した人、で浮かんだのは、SFの父と言われるジュール・ヴェルヌ(一八二八―一九〇五)。「八十日間世界一周」も有名。

八十日でできるなら、僕の人生が残り三分の二でも大丈夫。

ヴェルヌはたくさんのお話を書いた。僕が読んだのは四つか五つくらい。この人の小説はそこらじゅうへ行く。読んでないものもあるけれど、羅列するだけで面白いので思いつく限り、並べてみる。「八十日間世界一周」「地底旅行」「月世界旅行」「月世界へ行く」「彗星飛行」「理想都市」「海底二万里」「十五少年漂流記

本当に歩いたかどうかともかく、夢想したのが確実な人。タイトルだけでも、行ったり来たり、飛んだり、跳ねたり、漂流したり。どんな旅でも実現できる。八十日間で世界に行けたとしても、全然時間が足りなそう。

 

今の人だって、僕と同じように夢想している。

バンド、シャムキャッツに「Travel Agency」という楽曲がある。これは旅の歌、人生の歌。あっちへいったりこっちへいったりする、心の歌。

以下に歌詞を引用する(作詞:夏目知幸さん)

 

――明日風が吹いたら 西でも東でも/なんとなく行きたい方へ あったかそうな場所へ(中略)

言葉を捨てるなんて まだまだかかりそう

笑ってるだけだと ダメな時もあるね/ゆっくり準備をしよう 周りは燥ぐけど

恋人に触れるように 暗闇に手を伸ばせ/

夢から覚めたら次の国へ/いつか楽園へ着く頃までスケベでいたいね ――

 

今も昔も、人生は短い。だから、行けない場所は頭の中で行ってみる。

どんなところにも行けるけど、それはそれで、やっぱり時間が足りなくなった。

 

(本日の東京の感染者数 一〇二六人 また千人以上に戻った)